介護保険の関係で、2ヶ月に一回病院を変わらなくてはいけない状況になっていた・・・
親戚皆、加古川に住んでいる為、出来れば近くの施設がいいと思うが
どこの施設もなかなか想うようにはいかなかった。


家族の期待は、このままリハビリを続けていれば
またいつか少しの後遺症は残っても家に帰って生活が出来るのでは!!!1
と思っていた為、寝たきり生活はして欲しくなかった。
だから、リハビリ設備の整ってる施設に入れてあげったかった。

2つ目の病院も2ヶ月が経ち、3つ目の施設に転院・・・・・
たまたま今居た病院の横に老人ホームがあり
次の施設が見つかるまでの間そこでの生活が始まった。


そこの施設は、みんなばぁちゃんと同じような状況の人ばかりやった。



自分でご飯の食べれない人・・・・
半身不随の人・・・・


そんな中でも、いつもばぁちゃんは

【自分はほかの人ほど体の状況は悪くない!】

と思っていたからここまでこれたのかもしれない。
私たち家族から見れば、ほかの人と同じような状況やけど
受け入れたくない気持ちもたくさんあった。

2つ目の施設に替わり、2.3日経った頃・・・
高砂市内にある施設への入居が決まった!!!!
そこなら、家族も通うのに近いしばぁちゃん自身も家が近いとなれば
気持ちがまた変わってロハビリにはげんでくれるかな?
など家族の期待もあった。

今思えば、家族だけの想いだったのかもしれない・・・
ばぁちゃんからすれば・・・・
なんて思ってしまうけど。

高砂の施設に変わる時に、母と叔父がじぃちゃんと少しもめてしまった・・・
ばぁちゃんの前で、激しく喧嘩をしてしまったらしい・・・
皆、気づかない所で疲れやストレスがたまっていたせいか
些細な事で喧嘩になってしまった。

3つ目の施設に変わったのは確か3月12日やった。
姪っ子の誕生日の日。
仕事終わり次第、ばぁちゃんのお見舞いに行くと
いつも通りベッドでばぁちゃんが寝ていた。
姉と2人でお見舞いに行った。
いつも通り色んな会話をして

『またここで頑張っていこな!
  転院する度に家近くなってきたな。次変わる時には家帰ろな』

なんて話しながらその日は帰った。


次の日も、その次の日もお見舞いに行った。
そんな中母と話ていたのが



『ここ何日かばぁちゃんの様子おかしくない?』

それは私も感じていた。




発言・行動が明らかにおかしい。
環境の変化で認知が少しひどくなってしまったのかと思っていたが
日を重ねると同時に体にも色んな変化が出てきた・・・

痙攣をおこしたり、幻覚をみたりするようになった。
いくらあたし達が、

『違うで!』とか『大丈夫やで』と言ってもばぁちゃんには伝わらなかった。


ずっと何かにおびえているような感じやった。


時間が経つにつれて、意思の疎通もほぼ出来ない・・・・
会話はまったくと言っていいぐらい、成り立たない・・・
気付けば、声を発する事も困難になっていた。
食事も今まで以上に食べなくなって・・・・
食事中に喉の何か詰まらせたかのように、苦しそうにのけぞる事も多々あった。
日に日に意識ももうろうとしていたのが目で見て分かるくらいやった。


家族と話あった結果、昔からかかりつけの病院で一度見てもらおう!
となって主治医の先生に状況を報告すると



『救急で今すぐおいで!』

と言われ、即検査をしてもらった。

その頃には、ばぁちゃんの状況は最悪と言ってもいいぐらい悪かった。
意識はほぼない・・・
ずっと痙攣してる・・・

検査をしてもらった結果・・・・
臓器という臓器がほぼ最悪状態・・・

医師からは、

『何でこんな事になったのか、原因は分からない・・・』

と言われた・・・

そこの医師は、ばぁちゃんが元気ば時からお世話になってる先生だった事もあり
先生自身も忙しい中ずっとばぁちゃんの事を気にかけてくれてた。

食事をする事も不可能。
会話をする事も不可能。
意識もない。


また振り出しに戻った気分になった・・・・
最初に病気が分かった時、術後ICUに居た時と状況はほぼ一緒・・・・


家族皆が本間にどんぞこに落ちてしまった・・・


せかっくここまで回復して、歩けるようにまでなっていたのに・・・
もう少しリハビリをしたら家に帰れると思っていたのに・・・・

何で?


それしか思わなかった。


その二日後くらいになって様態は急変した。




あやかのばぁちゃん。皆のばぁちゃん。③につづく