ガルシア・マルケス「百年の孤独」(新潮文庫・現在売り切れ続出らしい)を読了した。
三読めだとおもうが、今回がいちばん感銘深かった。
コロンビアの架空の町マコンドを舞台にしたマコンド開拓者一族のファミリーヒストリー。
1967年に発表、日本では72年に出版された。
コロンビアの風土が匂いたつように稠密に描かれていると同時に、およそ8代にわたる一族の愚行、奇行の数数が誇張に満ち満ちた法螺噺の筆致=マジックリアリズムで物語られるが、マコンドの歴史は愚かで懲りない人類史そのものである。「百年の孤独」にはありとあらゆるものが詰め込まれ、そして煮えたぎっている。
男と女、誕生と死、生者と幽霊、淫蕩と天罰、味方と敵の区別もつかなくなる泥沼の内戦、呪術と宗教と技術革新、バブルの過熱とバブルが弾けたあとの荒涼…
これらの要素はいまの世界でも現在進行形である。
そうして孫子(まごこ)の代に下っても子孫たちは先祖たちと変わらない失策を繰り返す。
当方のいう、悪しき回転寿司状態の無限ループである。
したがって、マルケスの深く透徹したペシミズムが重層的な余韻を残す。
ブラジルのネイティヴたちを回って歩いたのは文化人類学者のレヴィ=ストロースであり、その著書「悲しき熱帯」の末尾で、
「世界は人類なしに始まったのであり、人類なしに終わるだろう」
と記したが、その感懐はマルケスにも共有されており、いや、というよりも、マルケスは「悲しき熱帯」を読んでインスパイアされたはずだとわたしは想像している。
なお「百年の孤独」と同名の焼酎は呑んだことはない。
グラス一杯飲み干してリアルに百年も孤独に置かれたくないものだ…