LGBT関連の文章が続きますが。
前のブログで、LGBT問題は他人事としがちだった的なことを書いたけど、実は少し前に、自分事として激しく憤った出来事がある。


私は家のすぐ先の居酒屋によく行く。
70代半ばのおばあちゃんがやっていて、客も年齢層高めの常連ばかりという古い店だ。
近所に住むレズ友とも、よく2軒目として訪れる。

いつものように2軒目として飲んで、その子が一足先に帰ることになった。
常連の客達みんなが「おやすみ〜」「気をつけて〜」と見送る中、ある罵声が飛んだ。
「おかま!」と。
飛んだ言葉が理解できなくて、耳を疑って固まっていたと思う。
それが帰れおかまだったのか、このやろうおかまだったのか…、思考停止状態だったので前後の言葉は覚えていない。
(というか書くだけでつらい。)
でも、酔っ払いの50代のおっさんから、確かにその言葉は発せられた。


おかま。
たぶんMtFのトランスジェンダーや、トランスベスタイト(女装志向)の男性への蔑称。
そもそも蔑称で呼びたいならオナベだろこの低脳、という突っ込みをするレベルの話じゃない。

軽蔑する。
同じ人間として同時代に生きていることに嫌悪感を抱き、心の底から軽蔑する。


私たちはその店で、セクシャリティの話をしたことはない。
友達はたしかに、
ややボーイッシュというか中性的な外見だ。
そんな外見だけで、よく知らない(喧嘩した訳でもない)人間に対して、一方的に傷つける言葉を投げる人がこんな近くにいたとは。
ショックを受けた。


ここに「人を傷つけちゃいけないですよ」なんてつまらない正論を書いたって、
何も面白くもないし、何かが変わる訳でもないだろう。
そもそも基本的に、「正論」とか「正しさ」の押し付けが過剰な、今の風潮は好きではない。

遠藤周作が「善魔について」というエッセイで、
「自分の宗教や主義(自分の善)だけが正しいと思って人に押し付ける人」を批判した、という文章を以前何かで読んだ。
そこで書かれているように、
私は「善魔」のような人が嫌いだし、いろんな考え方の人がいていいと思っている。
正義を少し斜めから見るくらいの方が面白味があると思っている。

でも、「正しくないこと」の中でも、「絶対に言ってはいけない相手に対して、絶対に言ってはいけないこと」がある。
同時代に生きる人間が、暗黙裡にそれをわきまえている。
例えば100年前の時代に、「触るな、オカマが移る」と言うことは今ほど悪ではなかっただろう。
もしくは、今90歳のおじいさんが言ったって、まぁ古い人だし仕方ないか、とも思える。

でもまだ健康な50代で、様々な情報に接している人間が、
この時代に絶対に言ってはいけないことを口にしている。
恥ずかしくないのだろうか。
自分の人間性の下劣さを、露呈させていると気付かないのだろうか。


とは言え、その場に居合わせた友達(店で知り合ったノンケ女子)も、そのおっさんに会いたくなくて、店に来たくないと言っている。
店のおばあちゃんも憤っている。
もちろん、いい人は世の中に溢れている。