私がいわゆる覆面である理由の一つに、
右脳中島オーボラの本妻で描く作品に
「作家性は必要では無い」との思いがあります。
私(達)が体現する作品には、
「どんなヒトが描いているのか」と云う要素は
かえって作品の真意をブレさせてしまう不要な
ファクターになってしまう事が多く、
私の人間性も含め、なるべく全てを
包み隠していたいと思っていたりしています。
その為、いわゆる賞レースに参加したり、
公の場に出ないといけない様な状況でも
極力場に出る事は避け、代表や出演者や制作
にお任せしていたりします。
さてさて、
そんな中で、
I元さんの大量考察&感想tweetを拝見し、
(右脳作品を楽しんで頂き本当に本当に
ありがとうございます!)
「あ、私の想いは間違いでは無かったのかな?」
と、凄く救われる気持ちが湧きました。
作品の多様性や多面性は常に意識している
所ではあるし、「作風やテイスト」も
「己の敷いた既成概念」に囚われ過ぎ無い事を
念頭に置いて作劇に務めていたりしています。
つまり、
「右脳が右脳に捕らわれない事を意識している」
と云うよく分からない図式に成っていたり
します。
それでも嗜好性は変えられないので、
ついつい駄洒落たくはなってしまうのですが、
其処はご愛嬌と云う事で一つ大目に見て何なら
片目を瞑ってウインクの一つでもかまして
頂きたい所ではあります。
あ、
いきなりぶっちゃけますが、
来年、右脳中島オーボラの本妻は本公演を
行いません。(あくまでも現状の予定ですが)
その為、
今年の本公演は、
「この先暫く無い本公演」であり、
「活動12年目にしてようやくのvol.10」であり、「代表と2人だけのユニットから手を広げて
集合体と成って初めての本公演」でした。
それだけ自身の「思い入れ」も強く有り、
公演が終わって1週間経ったいまでも、
思い出して少し涙が出そうになっていたりします。(実際に泣いているんですが)
少し、
今作のテーマにも触れる事ですが、
過去は変えられ無い。
それでも前を向いて進んでゆけるのは、
ヒトはやっぱり未だ見ぬ「先」に僅かな光を
信じ求めているからだと、私は思っています。
覚悟の量が力を上げる。
正にクラピカの言う通りですね。
右脳中島オーボラの本妻は、
きっともっとずっと強く成って、
皆さまに益々難解でクダラナイ作品をお届けし
続けてゆける様に精進して参ります。
悲しい事はきっとこの先にもいっぱいあり
ますが、傷付く事も大事。
2019年、夏の終わりに向けて。
このチラシ画像を貼るのも最後。