四足歩行の動物が好き。
小さい頃は犬を飼っていて、
散歩の係は私だった。
ある日いつもの様に朝の散歩に出かけていた時、田んぼの近くを流れる小川?用水路?
に違和感を覚えた。
飼い犬も吠えていた。
お年寄りが乗っている三輪車みたいなのが
川に沈んでいた。
おや?
と思いながらも学校へ行く時間も迫っていた
ので気にはしながらもその場を離れた。
その日、
学校から帰ると母親から
「近所の〇〇さんが川に落ちて亡くなって
いるのが見付かった」と言われた。
その人はよく私と愛犬を可愛がってくれていて、
私も愛犬もよく懐いていた近所の
おばあさんだった。
母は私に「きっとアナタ達に見付けて欲しかったんだろうね」
と言っていた。
私は生来ヒトが苦手だ。
生来、と云う事は無く、様々な事情や条件が
重なってそう成ったんだろうけれども、
気が付いたら
「ヒトに多くを求め無いし求められたく無い」
事が自分の内では当たり前に成っていて、
「ヒトに関心が無い」と周りからは
思われる様になっていた。
もし犬や猫が人語を操っていたとしたら、
私は犬や猫も遠ざける様になっていたん
だろうか。
彼らは愛情を一身に注いでくれる。
私もそれに応える。
何時でも側に居てくれ、
気が向かなければ離れていてくれる。
けれど言葉は交わせない。
生来のヒト嫌いなんて本当はいやしない。
全ては凸と凹で本当の自分にピッタリハマる
誰かを探し続けているんだろう。
誰しもが。
そんな話しを書こう。
と思い辿り着いたのが「最後の前菜」。
命の果ての其の最後の食卓でヒトは何を思い、
誰を想ってテーブルに着くんだろうか?
最後に食べたいモノって何かな?
思い浮かぶのはきっと、
何を口にするかではなくて、
誰とその食事を共にするかと云う事。
犬や猫。
ヒトであったり独りであったり。
人生の終わりは突然やって来る。
人生残りの食事の回数は解らない。
日々を大切に。
とは言え、
改稿作業は間に合うのか!?
頑張れ!自分。