最低気温は午前3時の「15.8度」、最高気温が午後2時の「27.5度」、高低差が「約11度」というところでした。
気温の変化の仕方としては、昨日と同じような感じでしたね。
夕方の陽射しの強烈さも似たような感じだったと思います。
昨日の「地本 錦絵問屋」の「馬喰町四丁目十八番地」に、ジローさまがコメントして下さったので、今日は、その場所について、ちょっと書きます。
「江戸東京重ね地図」というソフトで、バーの両側に現在と江戸があって、その間をスライドさせることで現在の地図と江戸の地図の重ね合わせた濃度が変わるように出来ています。
ちょっとミュゼと言っても見辛いだろうと思いますが、赤丸の部分が、江戸時代の「馬喰町四丁目」で、一丁目から四丁目まである馬喰町の端っこです。
馬喰町は、旅人宿が多く、地方から出て来た人が泊まるのはほとんどが馬喰町でした。
圓生が得意にした「御神酒徳利」は、この馬喰町の苅豆屋(かりまめや)が発端の舞台ですね。
馬喰町四丁目の先が現在の浅草橋、江戸時代は「浅草御門」で、防御のための舛形に木戸がありました。
浅草御門の南に立って、左の方、神田川沿いが「柳原土手」で、古着屋が軒を連ねてました。
小さんの「御慶」で、富に当たった八五郎が新年の挨拶を裃でしたいと言って、年末ギリギリに買いに行くのが、この柳原で、古着一式なんでも揃いました。
逆に、右の方へ行くと「両国広小路」。
見世物小屋、芝居小屋などがあって、江戸一番と言っても良い繁華の地ですが、「広小路」は本来、火除け地ですから、いざという時は全て撤去できるようになっていました。
その先、大川に架かっているのが「両国橋」、武蔵と下総の両国にまたがるので「両国橋」で、それを渡ると「向こう両国」、ここも繁華街です。
現在は、この辺りは馬喰町1丁目なんですね。