
昨日は、悲嘆が複雑になる要因として
1 誰が、どのようになくなったのか
2 故人との愛着関係(愛憎の葛藤)
3 過去の喪失体験や既往症
4 本人の性格や環境
5 周囲のサポートの有無な度をお伝えしました。
そんな中でも、癒しに時間がかかるケースには、やはり特徴があるように思います。
私が現場で実感するのは、特に下記の3つです。
1 どのように亡くなったか
予測なく、突然に事故や病気で急死された場合、自殺された場合、そして、それがお子様や配偶者であった場合のグリーフはどうしても大きいと言えます。
人生で経験する最も高いストレスが、配偶者やお子さんの死だと言われます。
お子さんの場合は、特にご自分の一部を失ってしまったがごとく、その事実を受け止めること自体に時間がかかることでしょう。
また、事件に巻き込まれるなど、非業な死を遂げられた場合の家族のお気持ちは、計り知れないものがあって当然であろうと思います。
最近では、コロナで死に目に会えないまま、愛する人が亡くなってしまわれ、後悔や自責の思いが強まるケースも増えています。
自分の大切な人の死が、あまりにもつらい状況下で生じた場合、何らかのセラピーや分かち合いだけで簡単に癒されないのも当然です。
十分に悲嘆を味わう中で、癒しのプロセスを歩みながら、深い喪失感には「時薬」もどうしても大切と言えるかもしれません。
そして、人は死んだらどうなるのかという「死生観」や「人生の意味」を抜きにして、グリーフケアはないのではと私自身は考えています。
なぜなら、その人の持つ死生観によって、死の受け止め方も悲嘆の深さも異なるからです。
現代では「肉体が死ねば、それでおしまい」という唯物的な考え方を信じている人の方が多いかもしれません。
一方、「肉体は乗り物であって、肉体が滅びても運転手である魂は天国に還り、永遠の生命をもって転生輪廻をしている」という霊的人生観や、人は死んだら天国に還るというような宗教観を持っている人もいます。
そうした死生観、死後の生をどう考えるかは、人の生き方にも、残された人の悲しみ方にも大きな影響を及ぼします。
普段、日本の医療の世界ではほとんど触れることができない死生観、宗教観の部分ですが、きわめて重要な部分でもあると思え、改めて、そんなことも取り上げてみたいと思います。
もしご興味がある方は、医師であり、死生学の研究者でもある加藤直哉先生の「人は死んだらどうなるの」(三和書籍)なども、参考になるかもしれません。
死んだらどうなるのかを死生学的に知りたいと思っている方は、ぜひ読んでみてくださればと思います。
2 過去にも未解決の喪失を経験していたり、うつなどの既往歴がある場合
喪失体験は、先程もご説明したように「死」だけではないので、失業した上にご家族が亡くなったとか、火事で家も両親も同時に失ったとか、配偶者が死んだ上に可愛がっていたペットが亡くなったというような場合、立ち直りに時間がかかることがあります。
すでにお皿やコップを落としてヒビが入っていて、もう一度落としたらどうなるでしょう?
割れてしまいますね。
それと同じことが心に起きてしまいます。
人生で何らかの喪失を体験していない人というのもいないと言えますが、私がグリーフケアをさせていただくときにも、必ず過去の痛みや喪失感については、時期を見てサポートさせていただくようにしています。
また、何らかの心理的既往歴がある場合も、心が脆弱になっている上にグリーフ体験が加わるので、心のバランスを崩しやすいと言えます。
こうした場合、グリーフケアはある程度できて喪失感からは立ち直れても、なかなか社会復帰が難しいケースもあります。
心身の不調が強い場合、うつや不安症などの既往歴や現病歴があって苦しい場合は、周囲の適切なサポート、医師などの専門家のサポートも検討なさってみてください。
3 故人との間に愛着やトラウマの葛藤を抱えている場合
母一人、子一人の場合や、夫婦だけで仲睦まじく長年暮らしてきたというように、故人との愛情が強すぎても、葛藤がありすぎても、どちらの場合も悲嘆が長引く可能性があります。
特に、幼少期に親から十分な愛情を示されていなかったり、暴言や暴力を受けいていたり、トラウマになるような出来事を抱えていると、どうしてもアンビバレントな感情(愛憎の葛藤)が生まれてしまいます。
寂しい気持ちもあるのに、許せない気持ちも去らない
死んでも涙さえ出ないのに、母親のことを繰り返し思い出す
わだかまりが消えず、そんな自分も許せないというような葛藤が起きると、シンプルに悲しむことができないので、複雑な感情や思いが続いていくことになりがちです。
葛藤を抱えていた母親を亡くされたBさんも、亡くなったことに涙も流れず悲しいとも思えず、そんな自分も許せず認められなくて、やってこられました。
両親の仲がいつも悪くて、自分の居場所はなく、妹は可愛がられても、自分は幼い頃から何かあると手を出され、できないことは何もないほど頑張っても、トップをとっても、一度も認めてもらえることはないまま、大学進学を機に親元を離れたそうです。
その後、結婚し子どももいながら、ある分野のエキスパートとして、夜中まで仕事をして当たり前、家事をして当たり前、趣味もプロ並みにやらなくてはと思うほど、自分を追い込む人生を生きておられました。
母親が死んだことをどう考えたらいいのか、母親との関係をどのように捉えなおしていいのか、そもそも母親や父親、妹に対してどのような葛藤を抱えていたかということ自体が、十分に理解できていなかったBさんでした。
セッションを重ねる中で、少しずつ自分が何でここまで頑張って頑張って、休むことを一切許さないで生きてきたのか、「誰かに認めてもらうためにずっとがんばってきたんだ」ということが、ようやく理解できるようになりました。
そして、人生で初めて休むことをご自分に許し、家事をしない時があってもいい、趣味は楽しんでいいんだと受け止められるようになり、ライフスタイルを少しずつ変えていかれました。
そうして、父親や妹へのわだかまりも薄れ、母親に対しても、「自分を見守っていて」と思えるようになった時、卒業していかれました。
こうした複雑なグリーフケアにおいては、2と3にあげた過去の喪失感や、広い意味でのトラウマケアを必要とすることが実際に多いです。
1のケースを除けば、このトラウマケアや愛着問題の解消を十分にさせていただくことで、癒えていかれることが多いと感じています。
そういう意味で、長い間癒えない複雑な問題の場合は、単なる分かち合いだけでは心が癒えず、トラウマケア、ストレスケアも考慮する必要があるかと思えています。
「グリーフケアとトラウマケア」については、また、別の機会にお話をさせていただきますね。
さらには、自分自身がどんな人間なのか、どのように生きることが自分らしく生きることなのか、大切な人の死で初めて、自分の人生を振り返りはじめ、「心の再生」「人生の再生」を求めるような方もいらっしゃいます。
こうした方の場合は、グリーフケアだけでなく、じっくり時間をかけて、ご自分で納得がいくまで探求を深めていかれることが大事になるでしょう。
医療機関の枠を超えているところもあり、「やさしいビリーブセラピー」のヒーリングカレッジのようなプログラムもそうした試みの一つになるかもしれません。
今日はここまでにさせていただきますね。
明日は、「悲しみからの回復には様々なプロセスがあります」をお伝えします。
※死生観とシンプルでも効果のあるセラピーを取り入れた、グリーフケアの集まり「こころカフェ」が4月より始まります。