妻が亡くなってからあっという間に1週間が経ちました。

3月の記事更新以降のことを記録として記載したいと思います。正直やらなければいけないことが盛りだくさんで、ブログを書いている場合ではないのだと思いますが、少しでも記憶の新しいうちに。

長文になると思いますが、ご容赦ください。

 

3月の入院後、すぐに行政のサービスを受けるべく、

地方の相談施設に連絡しました。

すぐに状況のヒアリングに来てくれましたが、

その時点での妻の状況としては、

・たどたどしいがしゃべれる

・自分でご飯は食べられる(ただしむちゃくちゃ遅い)

・歩行は完全に不可

・トイレ/お風呂は連れて行けば自分でできる

という状況でした。

加えて私が完全に在宅勤務でしたので、

日中の介護は仕事の合間にできていたので、

とりあえず1週間に1回くらいヘルパーさんにお風呂のお手伝いしにきてもらうくらいですかねー、ということで支援の手続きを開始してもらいました。

まずは市役所の障害福祉課に連絡して、

障害区分の調査に来てもらう必要があるということで、その日程調整をお願いしました。

 

区分調査が来るまで、ちょうど花見の季節でしたので、

子どもと3人で近くの公園に花見にも行けました。

まだ車椅子に座っていれば座位保持はできたので、

子供が桜の花びらで遊んでいるのを、にこにこしながら見ていました。

 

またガンマナイフ照射後1ヶ月の検診のために東京にも行きました。

車椅子での新幹線移動は大変ではありましたが、

どこにエレベーターがあって、どこに優先座席があるというのもわかってきたので、

前回よりはスムーズに行けたと思います。

MRI検査の結果も、照射部分の腫瘍は少し小さくなっていて、

症状も少し落ち着くと思うから、と1カ月半後(5月末)の次回予約を入れて帰りました。

 

ただ実際は症状の進行は止まることはなく、

食事をぽろぽろこぼすようになったので介護エプロンを購入したり、

入浴後も自分で身体を拭いたり、服を着ることができなくなったので

私の方で全てお世話をすることが増えました。

 

そのころにようやく区分調査に来ていただき、

この1-2週間でまた症状が進んでいるため、急いでサービスを受けたいことをお願いしましたが、

今後医師の意見書を頂いて、市役所での認定会議(半月に1回)にかけて、

認定されてから2週間ほどでようやくサービスが使えるようになるという状況でした。

 

その後1週間ほどで、ごはんがほとんど食べられなくなり、

水もストローで飲んでいましたが、飲むたびにむせこむ様になりました。

ちょうどテモゾロミドの服用期間があったのですが、

5日間服用しなければいけないところ、3日目で服用を諦めました。

そもそもこの状況でほんとに服用する必要があるのか疑問だったのですが、

妻が飲むといったので、初日2日目がむせこみながらもなんとか錠剤を飲みました。

しかし3日目で激しくむせこみ、このままだと誤嚥すると思いましたので

私の方で、もうやめさせようと声かけしようとしたタイミングで

妻のほうから、もうやめると言い出しました。

病気がわかってから、便秘や倦怠感に苦しみながらも毎月よく頑張ったと思います。

よく頑張ったと言って、残りのテモゾロミドは捨ててしまいました。

 

ごはんも水も摂取できなくなり、パウチゼリーを1日1本飲めるか飲めないかという状況でゴールデンウイークを迎えました。

もともと子供と妻と近くのおもちゃ王国に行こうという話をしていたのですが、

果たしてこの状況の妻を連れて行くのが正しいのか、悩みました。

それでも本人が絶対行くと言ったので、3人で行ってきました。

4歳児と、車椅子の妻を連れての外出はなかなかハードで、

私自身は休む暇もなかったですが、

子どもが遊んでいるのを、妻がにこにこしながら見ているのを見て、

連れてきてよかったなと思えました。

そしてこれが結果的に3人での最後の外出でした。

 

翌日は妻は疲労からかぐったりしており、パウチゼリーもほとんど飲めませんでした。

またごはんもほとんど食べていないためお通じもほとんどなかったのですが、

その日の夜、トイレにこもって出てこなくなりました。

何事かと入ってみると、肛門の部分に便が詰まっているのが見えるのですが、

力が入らず出すことができないようでした。

私もどうすべきなのかわからず、お恥ずかしいですが、

救急車を呼ぶべきか相談する窓口に電話して、どうするのがよいか相談しました。

市販の浣腸薬と可能なら摘便を、という指示を頂いたので、

急いでドラッグストアで浣腸薬を買ってきて、すこし便が柔らかくなったところで

素人なりに便をかきだして、ようやくすっきりすることができました。

この間約1時間半、子供はずっとYouTubeでおとなしくしてました。

 

次の日、いよいよ自宅では看れない、少なくとも点滴が必要だと思いましたので

GW中でしたので普段アバスチンを受けている地元の病院の休日窓口に電話して、症状を伝えました。

すぐに病院に来いと言われたので、とりあえず点滴かなと悠長に構えていたら

そのまま緊急で入院ということになりました。

このころはもうほとんどしゃべることもできませんでした。

 

GW明けに改めて主治医に話を伺いに行ったところ、

「正直状況はきびしい。東京の主治医にも確認したが、これ以上できることはない。余命は数週間から数カ月。急変もあり得る、いつ亡くなってもおかしくない」と言われました。

正直覚悟はしていたので、この時点ではそれほどショックは受けませんでした。

それよりも、どこで看取りをするかということに頭がいっぱいでした。

というのも入院した直後から、家に帰りたいか?という問いかけだけには

妻は激しく首を縦に振っていました。

急性期病院ということもあり、入院中は子供が会いにくることができず、

なんとしてでも家に帰って子供また過ごせる環境を作らなければ、という思いで、

大急ぎで諸々の手続きがスタートしました。

 

私の方は、とりあえず会社に事情を説明し、

妻の退院と合わせて介護休暇の取得をお願いして、仕事の引継ぎを進めました。

また病院のソーシャルワーカーとも話しながら、介護ベッド含む介護用品のレンタル、訪問診療/訪問看護の手配、面談、契約を行っていました。

この間1-2週間だったのですが、その間も妻の症状は目に見えて進み、

痰がでるようになったので吸引が必要になったり、血中酸素濃度も下がるようになったので酸素マスクが外せなくなりました。また発熱もあったので、肺炎の疑いありということで抗生物質の投与が行われ、少なくとも2週間の抗生物質投与中は退院しない方がよいということにもなりました。

入院中は毎日私か、妻の両親が見舞いに行くようにはしていたのですが、

見舞いの時間は多くても1日4時間ほどでした。

妻はもうスマホも見れず、寝たきりで意思の表現もできないのに、頭で考えることは正常にできているようでした。

入院の間、特に夜間など、仕方ないことではあったのですがずっと寂しい思いをさせてしまったこと、その間妻が何を考えていたのか、想像するだけで胸が痛いです。

 

病院での関係者交えてのカンファレンスを終えてようやく退院日の目途が立ち、5/26に退院となりました。

当初は介護タクシーで帰宅するつもりだったのですが、

退院直前の妻の様子を見て、看護師と救急救命士同上の上、民間の救急車に乗って自宅に帰ってきました。

帰宅と合わせて、私、妻、妻の両親、在宅診療の先生、在宅看護の方々、地域相談支援の担当者、担当の薬剤師などが自宅に勢ぞろいでした。自宅に10人以上集まったのでなかなか狭かったですが、このメンバーで妻のこれからの介護を支えるので安心してください。と先生にご挨拶を頂きました。

 

その後、保育園に行っていた娘が帰ってきて、3週間ぶりにママと会うことができました。久しぶりにママと会えたので、娘は大興奮です。妻もにこっと笑ってました。あの時の顔が忘れられません。なんとか帰ってこれてよかったと思った瞬間でした。

 

ただ妻の介護の大変さは正直私の想像を超えていました。

当初1-2時間おきに痰の吸引をする、ただ寝ているのを無理に起こしてやる必要はないと聞かされていました。新生児の世話をしたときのように3時間おきくらいに様子を見ればよいかなと思っていたのです。

 

「退院初日」

実際は退院その日の晩から、痰の吸引をまめにやらないと血中酸素濃度が下がることがわかりました。新生児ならば何かあれば泣いて知らせてくれるものを、妻の場合は音もなく状況が悪くなるので、心配でほぼ一睡もできませんでした。実際血中酸素濃度は一時60近くまで下がり、このまま死んでしまうのではと気が気ではありませんでした。また在宅看護時に経鼻チューブからの栄養に切り替えたことがよくなかったのか、明け方4時頃には、到底一人で処理しきれないレベルのお通じがありました。

退院初日から訪問看護の緊急窓口に泣きつき、私ではうまく吸えなかった喉の奥の痰の吸引やおむつの処理などを手伝って頂きました。

 

「退院2日目」

翌日からは義父もヘルプで来てくれましたが、経鼻チューブでの栄養/薬の管理は自分でやっておりましたので、ほとんど休むひまもありませんでした。それでも妻の意識はまだはっきりしており、冗談を言えばにこっと笑ってくれていたので、まだまだ頑張れると思っていました。

さすがにその日の晩は義父に妻のお世話をお願いしたのですが、やはり一人では対応しきれない部分があり、私は3-4時間しか寝れませんでした。また夜間に熱が40℃以上まであがり、在宅診療の医師に電話をしたところ、追加の協力な解熱剤を出すので、自宅に届き次第投与してくださいとのことでした。

 

「退院3日目」

私も義父も寝不足でふらふらしてましたが、

朝9時に訪問看護が来たときには妻はバイタルも安定しており、40℃以上の高熱がある以外はとりあえず落ち着いていました。まだ解熱剤が届いていなかったので、この時点では投与できませんでした。

昼1時に2回目の訪問看護がきた際に、状況が一変しました。

正確には一変していたことに気づきました。

午前は少し高めだった血圧が、がくっと下がっていたのです。

また血中酸素濃度も下がりはじめ、酸素マスクの流量も最大にしたのですが、

これまでのように戻る様子が見えませんでした。

少し様子を見ていたのですが、呼吸が荒くなっていたのが見て取れました。

訪問看護さんから、恐らく急変です、と告げられ、医師にもすぐに電話をして頂きましたが、素人目にももう無理だということがわかりました。

私は仕事柄、マウスやラットの解剖をしたことがあるのですが、

呼吸の仕方が、麻酔で絶命前のマウスやラットと一緒だななんて思ったことを覚えています。

 

呼吸の様子が変わってからはあっという間で、チアノーゼが現れ、ほんの10-20分で逝ってしまいました。

義母や子供が駆けつける暇もありませんでした。

妻の6月の誕生日プレゼント用に購入していた絵本があったのですが、

それも見せてあげることはできませんでした。

それでも妻の最期に立ち会うことができたこと、最後のお別れが言えたことはせめてもの救いです。

 

妻が亡くなってからすぐに医者が自宅に来て、死亡確認となりました。

訪看さんから葬式の手配を促されたのですが、こんなに早いとは思ってもいなかったので何一つ考えていませんでした。

自宅の最寄りの葬祭場に連絡して、急ぎ諸々の手配をお願いしました。

とりあえず自宅に遺体保護のためのドライアイスが数時間後に来るということでした。それまでに娘が自宅に帰ってきたのですが、ママが亡くなったということはよくわかっていないようで、いつものようにママの身体にもたれかかってYouTubeを見てました。

 

ドライアイスの到着と合わせて、葬儀の打ち合わせが明日の朝になると言われました。それまでに取り急ぎ宗派だけは確認しておいてほしいと言われました。

取り急ぎ私側の親族への連絡をしました。恥ずかしながら自分の家の宗派も知らなかったのです。宗派の確認だけと思いましたが、翌朝の葬儀打ち合わせに合わせて私の父母も遠方から来てくれることになりました。

その日は義父母に寝室で泊まってもらったので、私は妻と2人でリビングで寝ました。

寝たといっても、冷たくなった妻を見ていたら到底寝ることができず、睡眠導入剤を飲んでも2時間ほどで目が覚めました。

 

「退院4日目」

朝から私の父母も来てくれて葬儀会社との打ち合わせに臨みました。

といっても私自身、中学生の時に祖母の葬儀に出た以来なので何に気を遣うべきなのかもわからず、ほとんど妻の両親、自分の両親に決めてもらいました。

祭殿の大きさや通夜ぶるまいの料理などは正直どうでもよく、寝不足もあって自分が何をやっているのかよくわかりませんでした。お花だけは妻が好きだったので、豪華なものにしてもらえるようお願いしました。

翌日が通夜、翌々日が決まりましたので妻のLINEのトーク履歴を見て一斉に案内を出しました。妻の兄が来てくれたこともあり、義父母たちは自分たちの家に戻り、自分の両親がその日は泊まることになりました。今振り返ってもその日自分が何を食べたのか全く思い出せません。その日も妻と一緒にリビングで寝たのですが、この日もほとんど寝れませんでした。

 

「退院5日目」

通夜当日です。

朝、葬儀会社の人が来て、妻を葬祭場に連れて行きました。

もう妻の身体がこの家に帰ってくることはないのかと思うと、涙が止まりませんでした。

湯灌の儀、納棺を終えたらあっという間に通夜が始まりました。

どれくらいの人が来てくれるのか想像もついていませんでしたが、会場の椅子が足らなくなるくらいの人が来てくれました。供花もたくさん頂き、ステージに収まりきりませんでした。喪主の挨拶の時以外は終始ぼーっとしており、正直お寺さんの念仏も弔問客のお悔やみの言葉もあまり覚えていません。

通夜が終わって、私と子供は葬祭場に泊まりました。3人で過ごす最後の夜です。

妻に見せてあげられなかった「ママ、ありがとう、だいすきだよ」という絵本を持ってき、子供と3人で読みました。この日もやっぱり寝られませんでした。誰もいない葬祭場で妻の顔を眺めてました。

 

「退院6日目」

葬儀当日です。

朝から葬儀でしたが、やはり喪主挨拶以外はぼーっとしていました。娘が抱っこをせがんできたので、娘を抱っこしたままの喪主挨拶でした。

ただいよいよ棺を閉めて最後のお別れをするとき、火葬場に入ったとき、お骨拾いのとき、涙が止まりませんでした。

娘は「ママがお骨になっちゃったー」と軽い口調で言ってました。

自宅に帰ってから、家に妻がいないことを実感してどうしようもなくつらかったので、疲れてる両親にたのんで外食に行きました。外でお酒を飲むこともしばらくなかったので、久しぶりにお酒をたくさん飲みました。

 

「退院7日目」

朝からレンタルしていた介護ベッドの引き取りを手配してすぐに来てもらい、

やっと片付いたと思ったら、妻の祭壇が設置されました。

もともと片付けはあまり得意ではない妻でした。亡くなったくせに広い場所とりやがって、と妻の遺影に文句言ってやりました。

この日、両親も実家に戻り、久々に自分の寝室、自分の布団で子供を寝かしつけてたらそのまま朝まで寝てしまいました。人生で1番睡眠時間の少ない1週間だったなと思います。

 

その後は香典の整理をしたり、関係者に御礼を言ったり、四十九日の手配をしたり、市役所に行ったり、諸々の手続きの電話を掛ける日々です。

市役所で子育て応援課に行くまで、自分が父子家庭になったことに気づいてませんでした。

 

手続きの関係で、妻のスマホの中身を確認しました。

亡くなるずいぶんまえからまともに文字も打てなかったので、遺書やメッセージの類は期待していませんでした。ただメモアプリの奥の方に私宛のメッセージを見つけました。2022年10月のメモで、病気がわかって初期治療が終わったころのメモです。私一人では抱えきれなかったので、勝手ながらここに記載させて頂きます。

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<私>へ

<妻>は<私>と結婚できて幸せ。本当に。 

<私>には申し訳ないなぁ。<娘>ちゃんのお世話で自分の時間やお仕事の時間を奪ってしまって。 もっとあげマンになりたかった(笑)

<私>ええやつや、まぁ<妻>が良いやつやからやけどな笑

<私>のこと大好き。本当に大好き。感謝しかない。愛してるよ。

<娘>ちゃんのためにも身体は大切にね。自分のこと大事にしてね。無理しすぎないでよ。

適度に<私>のパパママや<妻>のパパママを頼ってほしい。ほんまに。

みんな<娘>ちゃんのこと大好きやから手伝ってくれるし、<娘>ちゃんにいろいろしてあげたいって絶対思ってるはずやから。

 

<娘>ちゃん、ママのこと忘れないでほしいとも思うけど、毎日元気に過ごしてね。それが一番。 お友達を大切にね。笑顔よ、笑顔が大事。<娘>ちゃんの笑顔は素敵だから。ママ<娘>ちゃんのこと大好き。<娘>ちゃんの笑顔も大好き。愛してるよ。

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病気がわかった直後から、色々思うところがあったのだろうと思うと辛いです。

後悔のないようにやれるだけのことはやったつもりですが、それでも、もっともっと何かできること、やってあげれたはずのことがあったのではないかと考えてしまいます。

喪主の挨拶でも言ったのですが、妻はやさしくて気遣いの上手な人で、そんなとこまで気を遣わなくてもええんちゃう?といったところまで気をまわしてしまう人でした。

振り返ってみれば、亡くなる前に子供に必ず会うこと、そして子供に別れの挨拶をしたら、私や両親に負担がかからないようにとあっさり逝ってしまったのかなと思います。

病気がわかってからの4年間、楽しいことばかりではありませんでした。

それでも後悔のないようにたくさん遊んで、たくさんの思い出ができて幸せでした。

人生で一番楽しかった時期は?と聞かれたらこの4年間を迷うことなく選びます。

妻に感謝を伝えたいと思います。

 

 

そして長文になりましたが、拝読を頂きありがとうございました。

妻の病気がわかってから、同じ病気の闘病生活のブログを拝見するようになり、

おかげで自分が今何をすべきなのか、アドバイスをもらっているようなつもりでおりました。あまり他人のブログにコメントはできておりませんでしたが、同じ病気の方とはともに闘っている仲間のように思っておりました。この場を借りて感謝申し上げます。

 

今後ブログを書く気になるかは今のところわかりませんが、

また心境の変化があったときには戻ってきて近況をお伝えできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

一気に書き上げて見返しもせずに投稿しますので、乱文になりましたことご容赦ください。