人はどこで生と死の線引きをするのだろうか. 命の終わりだけでは線引きできない「生きている死」と「死んでいない生」. それを臨死体験をした少年、余命3ヶ月の少女、そして特攻青年の幽霊で描いたガス・ヴァン・サント監督の優しさ溢れる演出に、改めて日本の礼節が持つ深い意味を感じました. 居眠り病と男娼を描いた『マイ・プライベート・アイダホ』、悲観と友情を描いた 『グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~』 、差別と不屈を描いた 『ミルク』 など、これまで「生きている死」と「死んでいない生」を何かに置き換えて描いてきたガス・ヴァン・サント監督. この映画でも両親の死を心の中で整理できずに他人の葬式巡りをするイーノックを「生きている死」、余命3ヶ月の命でも悲観することなく人生を楽しむアナベルを「死んでいない生」と描いている一方で、その両方を兼ね備えた存在としてヒロシという特攻青年を描いているところになぜか不思議な温かみを感じるんですよね. それは監督なりの新たな死生観なのか、それとも彼がゲイだとカミングアウトするまでの心の葛藤の具現化なのかは分かりませんが、このヒロシという存在に生と死の線引きは一つではない、どこで線引きするかで何もかもの感じ方が変わってくるような気がしてくるのです. というのも例えばヒロシが遺した愛する女性への想いや劇中で掛かるビートルズの楽曲など、亡くなった方が遺した想いは時間が経つにつれ自然と温かみを増すものです. その想いを発信した人は既に死んでいるのに形のない想いだけは永遠に死なずに生きている人たちに温かなものを残しながら生き続けています. 逆にイーノックのように目標もなく生きている人はまさに「生きている死」、言い換えれば「生きているのか死んでいるのか分からない存在」そのもの. こういう存在は不思議と死を好み、自殺や殺人に走る傾向も強いと歴史が語っています. つまりこの「死んでいない生」と「生きている死」を踏まえて、改めて生と死の線引きをするとどうなるでしょうか. 「死んでいない生」は永遠に語り継がれては多くの人に生きる意味を与え、「生きている死」は生きている者に死という魅力を語り始める. 逆に「生きている死」は生きている者に命が続く温かさをもう一度感じさせ、「死んでいない生」はやがて訪れる永遠の別れという恐怖を語り始める. 生きていることを当たり前と感じるのか、それとも有難いと感じるのか. 死を別れと捉えるのか、それとも旅立ちと捉えるのか. お辞儀や挨拶、死者を敬うなど日本人が大切にしてきた礼節. それはある意味生と死の線引きをする行為. 別れを告げる式を書く告別式もまさに生と死の線引きをするための儀式. その儀式をもって死者を旅人に変え、死者との思い出を永遠のものにする. tersfullcotpu ラスト、アナベルの告別式で彼女との思い出を語らずに思い出し笑みを浮かべるイーノック. MBT 激安 その彼の表情は生と死の線引きを行い、心の整理をした者の表情. あの表情ができなければ、故デニス・ホッパー閣下の伝説も伝説にならずに消え去っていくだけなのです. 深夜らじお@の映画館 の2012年最初に見た映画はこの作品です. ※お知らせとお願い ■ 【元町映画館】 に行こう.