我が家はあの時、妻が郡山で里帰り出産しており、被災した。
その時自分は東京。ありとあらゆる手を尽くして、郡山に着いたのが12日昼。
家族を連れて、12日夜のうちにやっと引き上げられたのは宇都宮まで。計画停電の影響でその後移動出来ず、宇都宮に2泊。
その後やっと神奈川の自宅にたどり着くことが出来た。
自宅に着いた瞬間、家族を助け出せた、と言う達成感、それまでの緊張感とのギャップから、体の力がふっと抜けて、涙が溢れ出した。
妻は、何も言わず俺を抱きしめてくれた。
時は過ぎ、今、あの時の影に怯えることとなっている。
東電からも被災者認定も受けていない。
そうした人間が他にも、どの位いるのだろうか。
あの日見た、郡山までの道路の荒れ果てた姿、(恐らく)余震の磁場で都度乱れるラジオの音、立ち寄ったコンビニで怯える家族の会話、そして、安全だ、と報じる報道を信じる、妻の家族。(無知と言うなかれ。そうして上に準じ、奉公する高貴なdnaが、福島の人間には宿っているんだと自分は思う)
それらをしっかりと記憶に残し、伝えて行くのが、あの時、福島に立ち入った者の義務と思っている。