ブログ開設の記念すべき第一回目の日記とは思えない、強烈なタイトルw
そのとおり。本日付で一年も勤めていない某金融機関を退職致しました。
このご時勢、職があるだけでも幸せなのに・・・なんて声が聞こえてきそうだが。
いや、実際数多くの諸先輩方に言われている。
辞めてしまった原因は大きく2つ。
1.自分の将来について深く考えていなかったこと
2.目を逸らしていた本当の夢と向き合う勇気が湧いたこと
私は大学に進学するとき、やりたいことより、偏差値や知名度の高さ、大学の場所だけにとらわれていた。
あこがれていた北海道での大学生活やたくさんの友人との出会いは掛買いのないものになった。
この点には何の後悔もないし、間違っていなかったと言える。
ただ、卒業後の未来を見据えていなかった。
いや、見ようとしなかった。
漠然とその先には暗い影が差しているように感じていた。
私には普通の人とは、違う、劣っているという意識が拭えなかったからだ。
その根源になっていたのは「吃音」。
「吃音」などという言葉を知っている人の方が少ないだろう。
自分の症状を簡単に表現すならば、「頭の中にある言葉が口から出ない」という状態。
専門的な言葉では「難発型」と言うらしい。
この病気は患った本人しかわからないだろうが、相当苦痛だ。
単純に言いたいことが言えないという苦痛もあるが、それ以上に、言えなかった自分に対する嫌悪感、他人からどう思われているかという焦り、被害妄想等による苦しみは死にたいと思うほど辛い。
ただ、そんな苦しみを自分が味わっていることは周りの人は気づいてはくれない。
「緊張しているの?」、「噛みすぎ(笑)」、「個性があっていい」、などという心配、嘲笑、励ましの声を掛けられることはあるが、その程度である。
比較的、真面目で自分に厳しい部類に入る性格が、悩みを助長させ、、就職やこれからの人生に対して希望を見出せすにいた。
ただ年をとり、大学を卒業しなくてはならなくなるとそうも言ってられないので就職活動を始めた。
もちろん、就職先選びのポイントは、喋らなくてもよさそうな仕事であること。
今思えば、そんな会社ほとんど存在しないだろうに。
社会はコミュニケーションで成り立っているなんてことは頭ではわかっていたが、それでも探した。
考えたのが、プログラマーや農業者などのいわゆる職人系の仕事。
ただ、もう1人の自分(自分に厳しい=M体質)が、「ダメだ、むしろコミュニケーションの機会が多そうな仕事を選べ・・・」と叫んでいた。
結果、恐る恐るではあるが、金融関係もエントリーし、面接に臨んだ。
そして運よく、最初に面接を受けた自分の大学のOBが多数いる某系統金融機関に内定が決まった。
普通の就職活動生ならば、その他の企業もどんどん受けていくのだが、私はここですぐに就職活動を止めた。
というか、自ら自分が傷付くような局面に立ち向かう勇気がなかった。
周りの友人には第一希望に内定が出たのでもう就職活動は止めたと吹聴した。
・・・思えば、今まで自分を守り続けていた。
自分を騙すこと、現実をみないように傷つかないように生きることに必死だった。
ただ最後まで自分を守り抜くことは容易ではなかった。
就職してからはというもの、毎日が恐ろしかった。
いつ自分の化けの皮が剥がされ、生身の体を傷つけられるのか・・・という不安が付きまとった。
このような逃げ腰の態度が災いして、コミュニケーションを自ら進んでとることを怠るようになっていった。
職場では、もちろん浮く存在となり、ますます居心地が悪くなり、ますます縮こまっていった。。。
そして、数少ないコミュニケーションの機会を得たとしても、それは叱責や人格否定に近い発言を浴びせられるものばかりだった。
そのような日々を繰り返していくうちに、徐々に私の心はすり減らされた。
そして、ある日ふと思った。
「自分はなぜ生きているのか、何のために生きているのか、何のために仕事をするのか」
そしてふと気づいた。
「自分は自分が傷つかないために生きてきた」と。
自分が傷つかないことが、生きる目的???
なんかおかしくないか?
初めて自分が「まともに生きていない」ことに気づいた。
本当は関心があること、やってみたいこと、理想の自分がいたことを忘れたいた。
ただ、今まで、それは暗闇の中にいた私にとってあまりにも眩しく、その存在は輪郭だけを記憶すに留まっていた。
しかし、その日、なぜかその存在を直視できた。
生きたいと強く望む声が自分の中から溢れてきた。
そして、例え、その夢に打ちひしがれようとも、それは今までの痛みとは異質のものであると確信し、むしろその痛みを受けたいとさえ思った。
そして、一年を待たずに、今日会社を辞める。
そして、夢を実現させる苦闘の日々をスタートさせるのだ。
コミュニケーションに関するあらゆる障害と向き合い、その苦しみを和らげることに人生を費やしたい。
この衝動に迷いはない。