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人物紹介

息子:20代半ばのサラリーマン リモートワーク

嫁:保育士 育休中

Sくん:4才 保育園児

Aくん:1才

夫:50代のサラリーマン リモートワーク

Black Cat:私 50代半ばの主婦 書き手

詳しくはこちらをどうぞ→☆彡

 三連休の最終日。

晴れ。

少し寒いけれど

陽だまりはあたたかい。


息子たちがゲームに興じてるのは

声が大きいからわかる。


孫たちは狭い部屋の中に

閉じ込められている。


男の子ふたり、体力をもてあます。

陣取り合戦、ものの奪いあい。


1歳半のAくんは

まだ「貸して」「どうぞ」の概念は低く

Sくんが遊んでる場所もものも奪い取る。

その度に金切り声をあげ、

最終的には泣き叫んで抗議するSくん。


そんな状態でもお構いなしだ。


Sくんか何やら暴れだしたらしい。


とは言っても大した物音は

聞こえてこないから

体を大きく動かしたくらいか。


「暴れないで」

「暴れるなっ!」

「暴れるなっつってるだろっ?暴れ回るなら出ていけ!」


息子がヒートアップしていく。


嫁もキンキン尖った甲高い声で

「暴れないで、て言われてるよ?

なんでやめないの?!」


子どもは。


体を使って遊びたがる。


男の子は。


体力有り余ってる。


それならそれができるところへ

なぜ連れていかない?

なぜ発散させてやらない?



発達障害の人は《優先順位がつけられない》

と言うが子育てが順位にすら入っていないように見えてしまう。


順位の中に入っていればタスクを読み出し

順位をつけなおして上からこなして行けばいいだけの話だが、タスクの中に子育てとか、どう子どもと向き合うべきか・向き合っていけばよいか、という項目が欠落していて、ほんの偶に《やってるよ感》を出して子どもの相手をしているように感じるのだ。

(家事においても同じように感じている)



それでも孫たちは

ママもパパも大好きなのだ。


愛情を確認するかのような行動は度々見られる。親に対する甘え行動。真意を汲み取って欲しいかのように繰り返すダメを言い渡されていることへの執着。言葉で伝えられない子は泣くことで意思を伝える。


それらを汲み取らず、表面だけで宥めたり、

もっとひどいとバッサリと切り捨てる。


泣き続けるわが子を抱くものの、視線はスマホから動かさない。


それでも孫らは与えられるべき《揺るぎない愛情》を受け取ることはできるなだろうか。 


幼い時にしっかりとした愛着形成が成されないとどうなるのだろうか。



今、嫁がキッチンで昼食を作っている。

Sくんがリビングで遊びながら嫁に話しかける。嫁は「気が散るから話しかけないでムキー

と何度も金切り声を上げる。


じゃあ、いつなら話しかけてよくて、いつなら答えてくれるのさ!


ごめんねを繰り返すSくんに、そう言ってもいいんだよ、と声をかけてあげたい。


今のところこの3日で孫が外に出たのは

息子とSくんの、散歩と称したコンビニへの買い物の、ほんの数十分だけだ。





切なすぎるから澄み渡る空の写真を

置いておきます。