今日は秋彼岸の義実家お墓参り。
義母と夫と3人で。
春彼岸、お盆と共に年3回揃ってお墓参りするのが決まり。

お墓の中は義父が。
再婚嫁の私は写真でしか知らない義父。

そのお墓参りの前日までに私が一人でお墓掃除を済ませておくのも
これまた決まり。

お墓の中の義父にしたら
年3回やって来る掃除のおばさん位の認識かしらね?

再婚して5年。
夫との間には勿論年齢的に子供はいないけれど、
再婚とは言えそれなりに決まり事も多いもんです。

幸い現在義母は健康そのもので
一人が一番気楽だと独り暮らしを満喫中。
その義実家から車で10分の場所に我々夫婦が暮らしています。

しかし、いずれは同居という形になる日が来るはず…

義母とは付かず離れずの良いバランスだけど
こうなるまでには壮絶な嫁姑問題もあった訳で。

いずれの同居と介護を思うと
ほんのりテンション下がります。

まあ、とりあえず年3回のお参りも無事終了で気持ち的には一段落。


最後の投稿は2018年2月でした。
それから約3年半。

まぁ~、人間この歳になっても色々変化があるもんですな。

なので。以前の投稿とは風味は変わりますが
改めてまた戻ってまいりました。

風味変化につき以前の投稿内容は現在のタイトルにはそぐわない為
全削除も考えましたが、
そんな過去も自分が生きた足跡👣
敢えて削除せずに。

これからはタイトル通り
再婚した中高年の主婦による
日々のつまらなくも実はつまらなくもない
様々な出来事を日記のように残していくつもり。


生きていると
目まぐるしい変化の波に飲み込まれる時もあるわね。

ここ2年、私に起きた出来事は
まさに激変。


介護の中で汚れのない少女のように可愛らしく変っていった母。

アクが強く女王様のようにいつも派手に輝いていた昔。

赤いマニキュアの指先に挟んだ煙草が似合う、
濃いウィスキーが似合う、粋な女だったはずなのに。

施設に入った頃から
棘もキツさも姿を消して
まるで少女のように儚い笑顔と
哀しみを帯びた表情を見せるようになった。

言葉もままならなくなりながらも
少女の深い瞳で沢山語ってくれた。

いつかは必ず訪れるであろう別れの日を
私は考えないようにしながらも
どこかで悟っていたのだろうか…

だから毎日毎日、母の顔に触れ
手や足や髪に触れ、
私は自分の感覚の全てで母を繋ぎ止めようと世話をやいていたのかもしれない。

そんな哀しくもどこか穏やかな母との毎日は
ある日突然終わりを告げた。

去年の立春の夜
春の訪れと共に母は一人で逝ってしまった。

間に合わなかった…
最期を看取ることが
できなかったことの悔いは
この先一生続くと思う。

亡くなった日も午後を一緒に過ごした。
いつも通りおやつを食べさせて
お肌のお手入れをして
髪をとかしリボンをつけて
施設のレクレーションに共に参加した。

母と最後に一緒に歌ったのは
「北国の春」。

「あのふるさとへ帰ろかな…帰ろうかな…」

職員や他の入所者さんが声を合わせて歌う。

母はほとんど声には出さないけれど、
心で歌詞を追っているのが瞳を見れば分かる。
母の車椅子の隣で私も歌う。

また明日ね、と別れた。
それが最後の別れとなった。

その夜、母は本当に
ふるさとへ帰ってしまった。

春に桜が咲いたら
姉と三人でお花見に行こうねと約束していたのに…


一周忌法要を先日終えてもなお、
心にもこの手のひらにも
母がしっかり生きている。
温かな母の肌の感覚が
まだ手に残っている。

それは哀しみを増大させる反面、
一生消えてほしくない唯一、救いの温もりでもある。
それは母からの消えない宝物。

勿論、悲しみに暮れてばかりはいられないから
人並みに普通の生活を送ってはいるわよ。

ただふとした時に
スイッチが入って色んな想いが急激に押し寄せて号泣してしまう。

昔はあんなに反発し、
激しく喧嘩もした母を
この世で誰よりも愛していたことを
今さら思い知るなんてね…

私はマザコンだったのね。

一周忌が過ぎ喪が明けた今、
これまでとは違う生き方をしている私のアレコレもこれから書いていくわね。