しばらく東北地震について本ブログでは触れていませんでしたが、時々こうしてまだこちらでもニュースを取り上げて更新していきたいですね。原発問題、放射能問題、続く余震、避難所の問題、物資の問題、未だ何一つ解決されない様々な問題があります。今回は『人について』のニュースの一部を少し載せます。


この現実から目をそむけてはいけない。命の尊さを知り、それを胸に今回被害にあった方々の分まで前向きに明るく自分らしく生きていくことが大事だと思います。






東日本大震災の死者は12都道県で1万4013人となった。行方不明者は、これまで計上していなかった仙台市の210人を含め、6県で1万3804人。これにより、すべての自治体の不明者数が計上された。死者・不明者は計2万7817人。


3月11日午後2時46分。あの日、あの瞬間から多くの子供たちが親を亡くした。宮城県女川町の木村夢吹君(7)も母の成美さん(35)を失った。周囲を気遣っていまだに涙を見せず、その小さな胸に悲しみを抱え込んだままだという。朝と寝る前には、笑顔の母の写真に「おはよう」「おやすみ」とあいさつをする。でも家族が成美さんの話をすると、「寂しくなるからいわないで」と怒ったような顔をする。

 成美さんはこの夏、待望の第2子が生まれる予定だった。夢吹君は、初めてのきょうだいの誕生を心待ちにしていたという。夫の隆征さん(41)は思い出す。「『ケンカができるから弟がいいな』って。間があいてできた子だったから、みんな喜んでね」。甘えん坊だった夢吹君も、成美さんの妊娠がわかった後は進んで家事を手伝うようになっていた。

 成美さんは自宅近くの水産加工会社で働いていた。海岸から1キロ以上離れた場所に建つ頑丈な鉄骨の工場。しかし大津波は工場を突き抜け、成美さんは数日後、同僚ら十数人とともに工場内で折り重なって見つかった。隆征さんは、安置所で亡きがらと対面した。傷ひとつない眠るような顔が、せめてもの救いだった。

 家族が泣き崩れるなか、夢吹君は涙を見せなかった。悲しみの対面から数日後、隆征さんが「悲しいときは泣けよ」と避難所で声をかけると、夢吹君はこう答えたという。「お父さんがいちばん悲しいから、僕は泣かない」

  隆征さんとの職場結婚から8年。成美さんは出産に備え、震災の10日後に退職する予定だった。次の検診ではおなかの子の性別がわかる予定で、男女どちらでもいいように2つの名前も考えていた。妻とまだ見ぬわが子を亡くした1カ月前から、隆征さんの時間は止まったままだった。何も考えられず、助けられなかった悔しさが心を埋めていた。震災から丸1カ月となる11日、隆征さんは自宅近くで重機に乗り、周囲を覆うがれきを動かしていた。黙祷(もくとう)するために重機を止めた午後2時46分、直前に動かしたがれきの中に見覚えのある服が目に入った。結婚後、初めて成美さんが買ってくれたお気に入りのジャージー。近くに成美さんの存在を感じずにはいられなかった。

 「子どもがいっから、頑張んなきゃ。夢吹が強く、優しく育つことが成美の願いだったから」。そう口にし、雨が降り始めた空を見上げていたそうだ。




宮城県石巻市のがれきの中で武山翔平さん(19)、優希さん(17)、直樹さん(13)の3人は立ちすくんだ。両親と祖父は波にのまれ、いない。震災で両親を失った18歳未満の子供を「震災孤児」という。優希さんと直樹さんは震災孤児になった。3人は親戚の家に身を寄せる。一時、首まで水に漬かりながら助かった直樹さんは「どうすればいいか分からないが、3人で生きていきたい」と話す。

 

今回の震災では多くの震災孤児が生まれた。孤児の数はすでに阪神大震災の68人を上回る103人。祖父母ら親族らが県外に連れ出して保護している場合などがあるため実態把握は困難で、さらに増える可能性が高いという。これらの震災孤児に対し、「里親になりたい」という問い合わせが急増している。他人の子供を養育する里親の組織「全国里親会」によると、震災直後から「どういう手続きが必要か」「里親になるまでにどのくらい日時がかかるのか」といった電話が一日に5、6件かかってくるようになったという。

夫と2人の娘と福島県いわき市で暮らす主婦、小川美代子さん(45)も里親を希望している。小川さんの自宅から車で5分ほど走った太平洋沿岸部は津波でほぼ壊滅状態となった。小川さん宅は被害を免れたが、「もし自分の子供が両親を失っていたらどうしただろう。施設ではなく、一般の家庭で育ってほしい」と思い、夫や娘と話し合って養育里親になろうと決めた。今は児童相談所や自治体で手続きなどの相談をしている。

 



震災で妻の奈保子さん(38)を亡くした佐々木健吾さん(44)は、デイサービスセンターの介護職員として勤務。職場で出会った2人は1997年に結婚した。

 震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。

 「とにかくもっと上へ」。裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。助けられたのは約20人。無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。地震の後、慈恵園の前で毛布を手に、お年寄りの間を歩いていた奈保子さんがいないと気付いたのは日が暮れたころ。3日後、がれきの中から遺体が見つかった。


 職場の机の引き出しには、泥まみれになった健吾さんのかばんが残っていた。内ポケットから、奈保子さんの手紙が出てきた。数年前、夫婦げんかをした後にもらったものだ。かばんにしまい、そのまま忘れていた。

 「突然手紙というのも何かあったと思うかな? 何もないのよ。昔書いていた日記を見つけて読んだら、とっても大切にしてもらってたのね。反省しました」仕事が大好きで責任感が強かった奈保子さんは今年、介護福祉士の試験に初めて挑戦した。4月初め、健吾さんがインターネットで確認すると、合格していた。「一緒に喜べたらよかったのに」と泣きながら、笑う。今も妻が戻ってこないとは信じられない。長女の千紘(ちひろ)ちゃん(6)とこんなやりとりを何度か繰り返した。

 「ママは、天使になって天国にいるの?」

 「そう。ここにはいないけど、ちいちゃんのこと、いつも見てるよ」

最初のころ「透明なママは嫌」と泣いた千紘ちゃん。最近は笑顔も見せるようになったが、どこまで母の死を受け止められたのか。長男の郁哉君(12)は「お母さんの分まで生きる」と気丈に話し、少しだけ泣いた。


奈保子さんの手紙は、こう続いていた。今の健吾さんへのエールのように。

 「パパ、大好きよ。郁哉と千紘のたくましいパパでいてね。今日も一日頑張って」と。




宮城県東松島市野蒜で激しい津波に遭い、夫、登志憲さん(51)と長男、剛さん(20)、娘の志保さん(22)を一度に失った妙子さん(51)。自宅が流されてしまったため、妙子さんの携帯電話に残った画像を遺影にしていた。妙子さんが履くジーンズは志保さんの数少ない遺品だ。

市内の病院で看護部長を務める妙子さんは3月11日。激しい揺れがあったとき、病院で勤務中だった。志保さんは自宅にいた。その後、剛さん、愛犬とともに車で、近くの高台にある避難所へ向かったようだ。登志憲さんも合流したとみられている。

  《津波が来ないでほしい》。志保さんがツイッターにそう書き込んだ直後、「黒い波」が襲った。

 廃虚と化した野蒜駅周辺で志保さんが見つかった。間もなく、そこから数十メートル離れた場所で水没した車中から、登志憲さんと剛さんが寄り添うように倒れているのが発見された。「志保は几帳面で段取りの良い子。自分が最初に見つかることで『パパと剛も近くにいるよ!』と知らせてくれたんだと思う」と話す妙子さん。

 多くの負傷者への対応に追われ、2週間近くも不眠不休の勤務を続けていた妙子さんに現実を受け止める余裕はなかった。娘の志保さんは看護を学び、4月に県外の学校へ入学することが決まっていた。患者に真剣に接する母の姿が、看護師を志すきっかけだった。

 「友達の赤ちゃんを、みんな取り上げるんだ」

 助産師志望。楽しげに夢を語る志保さんに、妙子さんは「婚期を逃すよ」と冗談めかした。 震災後、妙子さんは志保さんのブログを見つけた。こんな書き込みがあった。《明日で人生が終わるなら、友達皆に連絡して最後は家族と過ごしたい。「楽しかったよ」と伝えたい》


妙子さんに亡くなった志保さん合格証書が手渡された。「私と同じ道に立ってくれた」。市内の病院で看護部長を務める母は、成長した娘が同じ看護師として、いまでも自分のすぐそばにいてくれていると信じている 「言葉にならないです」


夫や子供たちは、なぜ死ななければならなかったのか。自分はなぜ残されたのか。妙子さんはいま、必死に答えを探している。「『復興の兆し』というけれど、やっと現実と向き合い始めたところなんです」

 娘の看護師試験の合格を知ったのは3月末だった。「志保が生きた証がほしい」。妙子さんは免許状を希望したが、国の規定上、亡くなった人には交付できない。「何とかならないのか」。事情を知った議員らによって国会で取り上げられたこともあり、厚生労働省 も動いた。特別に合格証書が作られ、被災地視察に向かう厚労省の責任者から、妙子さんに手渡されることになった。 「娘は本当に喜んでいると思います」。18日、合格証書と志保さんの遺影を胸に、妙子さんは涙をぬぐった。

 「震災の真実を100年後も200年後も伝えてほしい。亡くなった多くの人のために。同じことが二度と起こらないように」








僕たちは知る事、そして伝えることが大事―。


家族を失った妙子さんが最後に言ったことのように。


この現実に目をそむけず生きていく事が大事。

次の世代へ、子供達に。

自分たちが見たもの、聞いたもの、感じたこと、環境、思想、文化、歌、思いやり、怒り、悲しみ、喜び・・・

命の残り香を後世に伝えていく必要がある。


「未来を創るということ」と「過去を語り伝えるということ」は同じだから。



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【東北地震に関する内容一覧】


ヤフー 東北地震関係 最新ニュース一覧http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/topics_list/?pn=1&si=82

これまでの被害状況についてhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000521-san-soci

東京電力の現在の使用状況http://setsuden.yahoo.co.jp/

ユーチューブ「消息情報チャンネル」http://www.youtube.com/shousoku

日本テレビ「被災地からのメッセージ」http://www.dai2ntv.jp/infotainment/message/000001236z_01.html

●グーグル「避難場所情報一覧」

http://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_shelter.html

●現在炊き出し場所

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x5f8a281688bb7435%3A0x5a71ac24ed513392%2C0%2C0x5f8a2815e538e245%3A0xb1632cc050d2f733&msa=0&msid=216614052816461214939.00049e49594f07450fe63&z=8

●被災者受け入れ情報

●安否確認

災害時の母乳育児相談http://www.jalc-net.jp/i_hisai.htm
【被災地支援】現地自衛隊への援助物資の送付先
http://blog.livedoor.jp/ando_shinsaku/archives/2728483.html
情報が集約されてます。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/2011sanrikuoki_eq.html
・被災者の携帯番号を入力して調べる(NTTドコモ以外の番号も調べられます)
http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi
・被災者の電話番号を入力して調べる(災害用ブロードバンド掲示板)
https://www.web171.jp/
・安否確認 グーグルで調べる
・毎日新聞社会事業団
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000e040093000c.html
・Tポイント募金ガイド
http://tsite.jp/donation/index.pl?xpg=PCTC0202&bokin_id=88
・Yahoo!ボランティア「緊急災害募金」
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html
・日本赤十字社http://www.jrc.or.jp/
●警報・注意報
・気象庁 津波警報・注意報http://www.jma.go.jp/jp/tsunami
・Yahoo! 災害情報http://rescue.yahoo.co.jp/
●通信
・NTT東日本 災害用ブロードバンド伝言板(web171)http://www.ntt-east.co.jp/saigai/web171/index.html
・NTTドコモ 災害用伝言板http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi
・ソフトバンクモバイル災害用伝言板http://dengon.softbank.ne.jp/J
・KDDI災害用伝言板http://dengon.ezweb.ne.jp/
・イーモバイル災害用伝言板http://dengon.emnet.ne.jp/
・ウィルコム災害用伝言板http://dengon.clubh.ne.jp/
●鉄道運行状況
・JR東日本(東北)http://traininfo.jreast.co.jp/train_info/tohoku.aspx
●避難所情報