小学生の頃から続けている合気道。歴としては今年で12年となる。
今年、弐段を取ることができた。
3年前、大学1年生の時にに初段を取得した。
大学3年生の時、道場の師範から弐段の審査を受けないかという打診を受け、努力していたが、結局その年は受けることができなかった。端的に言うと実力不足だ。
僕と同じタイミングで初段になり、また僕と同じタイミングで昇段の打診を受けていた年下の子は、その年に弐段になった。確かにその子は、動きが綺麗でメリハリが付いており、僕よりも上手いのは明らかだった。
「今年受けるのはやめておこう」と言われた時はショックを隠せなかった。正直、自分は受けられるだろう、とたかを括っていたのだ。でも、諦めることはしなかった。僕は、合気道が好きで続けているのだから。
小学生、中学生の時、僕はかなりの運動音痴だった。中学2年生まで50m走はずっと10秒以上かかった。体育の授業では頑張っていてもいつもチームの足を引っ張っており、付いたあだ名は「スパイ」。
そんな中、母が始めさせてくれたのが合気道だった。
合気道は、多くのスポーツと違って人と競うことをしない。そもそも試合がない武道である。これなら、周りの足を引っ張ることもなく体を動かせるだろうと、合気道が選ばれたのだろう。今考えると、これ以上のものはない最良の選択肢であろう。
続けていると、自分でもだんだん上手くなっているのを感じた。いろんなスポーツで足を引っ張ってきたけど、合気道ならできる、そんな自信が湧いてきた。高校生くらいから、合気道が好きになり、将来も続けていこう、と思うようになった。
今では、始めた当初から教わっている僕の師匠が指導者を務める、子供教室の指導補助者をやっている。将来的に、その教室を師匠から継ぎたいと考えるようになった。
こうして、僕の人生と合気道は切っても切り離せない関係になった。大学の研究室の教授から「稽古によって研究ができないのなら、合気道をやめろ」と言われた時、口調を強めて「それはできません!」と言ってしまうほどだった。それぐらい合気道が好きだから、きっとここまで続けられてきたのだと思う。
「段位は上手さを示しているのではない。どれだけ続けてきたか、その継続力の強さを表す」先生はいつも我々にこうおっしゃる。僕は、弐段をゴールだとは思わない。これからも稽古を続け、自分がどんな人間になっていくか、自分の合気道がどのような形になっていくかが楽しみだから。