嵐の天然キャラ、相葉雅紀が成り立つまでにはいろいろな苦労がありました。

ジュニア時代には「スーパーアイドル相葉ちゃん」といわれるほど人気があったのに対し、嵐になりたてのころは、知名度は低かったです。

しかし相葉雅紀が嵐の仲間入りできたのは、なんとパスポートでした。

嵐のデビュー会見3日前、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんから「YOUパスポート持ってる?」その電話が嵐になるきっかけでした。相葉さん自身、「これは旅行かな?」と思っていたようです。

ジャニー喜多川さんから電話がかかってきたときにパスポートを持っていなかったり、パスポートの更新をしていなければ、嵐の相葉雅紀は存在しなかったかもしれません。

そして嵐のデビュー会見。相葉さんは何が起きたのかまったくわからなかったかと思います。しかし相葉さんは「世界中に嵐を巻き起こしたい」とデビュー会見で発言したことは見覚えある人も多いかと思います。
当時はまだ高校生。学業と芸能活動の両立はとても難しかったかと思います。

また当時、嵐の中で人気があったのは櫻井翔くんでした。自分のファンはとても少ないと感じていたのかもしれません。

そして2002年3月に相葉さんを悩ませることが起きました。趣味でやっているサックスを演奏中に、いきなり肺が痛くなりだしたのです。すぐに病院にかけつけたものの、診断された病名は「肺気胸」でした。全治1ヶ月といわれたのに対し、相葉さんは1週間後に嵐でファンとの交流をかねたハワイイベントに参加しなくてはいけません。もしかしたらそのイベントに参加できないかもしれない。

嵐4人での活躍になってしまうかもしれない。そう相葉さんは思っていたでしょう。
しかし驚異的な回復で1週間で病気を治し、ハワイイベントに参加しました。しかし相葉さんは激しい踊りをすることもできず、歌うこともできず、すべてのゲームに参加することもできない状態でした。嵐4人が歌っているのを、ファンと一緒に隅でみていました。ハワイから帰ったあとも、歌番組では相葉さんが椅子に座っている姿を見ることも多かったです。無理をしないようにという意味でそのようにしたかとは思いますが、相葉さんの心の中には悔しさや辛さが生まれました。

メンバーがドラマや映画、舞台で活躍していく中、相葉さんにはその話はなかなかきません。しかし2004年から天才!志村どうぶつ園にて相葉さんの個性を魅せることができました。少しずつではありますが、相葉さんの知名度があがってきて、2008年あたりからは相葉さんだけではなく、嵐という名が知られるようになってきました。そして初の国立競技場でのコンサート、紅白出場、紅白司会といった大舞台にまで立てるように成長していきました。

2014年9月15日には嵐結成15周年を迎え、日本時間9月20日には嵐の聖地ハワイでツアーをやることができました。相葉さんは、ハワイでコンサートができたことに対し、とても達成感を感じていました。以前ハワイにきたときは、肺気胸でメンバーと一緒に歌って踊ることができなかったのに対し、今回は多くのファンに囲まれ、メンバーが同じステージにいて、一緒に歌って踊れた。その喜びを感じたようで、最後の挨拶では「ずっと5人で一緒に立ちたくって。でも思い出のあるハワイに、ファンの前で立ててよかった」といって涙を流しながら挨拶をしていました。

辛い思いをしてきた相葉さんですが、相葉さんの天然なところや、明るいところ、面白いところはファンだけではなく私たち一般人もつい笑顔になってしまいます。
相葉さんが嵐の一員でよかったという喜びを感じながら、16年目、この先ずっと嵐のメンバーとしての活躍を期待したいです。