まずは生い立ちを軽く。
と思ってたら長くなりました。笑
1992年4月埼玉県入間市に5人兄弟(3男・2女)の末っ子として誕生。
小さい時は泣き虫と呼ばれ、小学生の時には友達の影響もあり、7歳でサッカーを始める。しかし親の都合で10歳でやめる。約3年やっていたが、サッカーのルールはいまいち。リフティングは出来ない。キャリア。
その後、11歳でテニスを始める。きっかけは忘れた。
人生のターニングポイントである中学時代は、人間関係に悩んだ。授業はまともに受けた記憶がない。先生から逃げ回っているか、よだれを垂らして寝ているか。
そして気に入らない事があったら机を蹴飛ばして帰る日もあった。相当な馬鹿だった。
今では想像出来ない人もいると思うけど、凄く周りの目を気にしてしまう性格でした。笑
そんな僕を見捨てずに、正しい道を歩かせてくれた人がいた。今も見続けている教員という”夢”を与えてくれた先生。
それからはちゃっかり学級委員、合唱祭実行委員、卒業式では旅立ちの日にの指揮者をやってました。
この時からまとめるのは好きでした。というよりは誰かに指示されるのが大っ嫌いでした。笑
高校の思い出は1年生のクラスがだいぶやんちゃすぎて、新任の先生を1年間で辞めさせたこと。何かと女子には嫌われていたこと。
部活では休日練習のある日、10時すぎにコーチからの電話で起きる。その瞬間死を覚悟した。
そんな高校生活もあっという間。
大学では教員を目指し、人間スポーツ学科に入学。他の大学も5校くらい見てきた中でここだと決めた1つ。
当初は1期生のスポーツ学科だからめちゃくちゃ勉強して、有名になってやろうという浅はかな夢を抱いて入学したが、恐ろしいほどに勉強はしていなかった。
そのうえ恋愛にも無縁。
唯一やっていたことは部活。
CaliforniaにあるWeil Tennis Academy、FloridaにあるGomez Tennis Academyに短期留学をさせてもらった。
Weil Tennis Academyでは今までに会ったことないコーチに出会ったり、周りの人達にかなり良い影響を受けたことを今でも覚えてる。
4年間の部活では環境、指導者、仲間に恵まれて、充実して4年間を過ごすことができた。思い返せば文句ばっかり、泣いてばかりだったけど、後悔はないです。こんなに濃い時間は後にも先にもなかったと思えるほど濃かったな。
卒業後は色々あり、茨城県笠間市の施設に勤務することに。23年目で初めて実家を出て1人暮らし。もちろん家族から離れることは凄く寂しいけど、小さい時から甘やかされて育てられた自分には必要な事だった。
この経験も今では感謝してる。あともうちょっとだけ、頑張ります。
仕事は施設の管理と、こどもたちに夢を与える、市民の人達の為にたくさんのアイディアを考えています。
これまた普通の企業では出来ないなんとも言えない大変さがあるけど、凄くやりがいはあるし、力になっていると感じる。
キャリア。
ウーマン。
こんな僕も4月からは社会人3年目。
まだ見たことない景色をたくさん見たい。そのためには自分から行動する。思いたったら即行動。大きくなったら行きたいところにすぐに行きたい。やりたいことはすぐにやりたい。その為に今を一生懸命に。
と今まではざっとこんな感じ。
これからもその時の気持ちを忘れないようにブログを書きます。
むらい