「かわいさ余って憎さは百倍」という言葉がありますよね。
「愛しているけれど憎い」という様な相反する感情が同時に存在する状態が人にはあります。
例えば、
『安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)伝説』は、歌舞伎などの題材になり語り継がれてきた昔話です。
むかしむかし。
奥州白河から熊野権現を参詣しようと旅をする若いお坊さんがいました。
お坊さんの名は『安珍(あんちん)』。
安珍は、それはそれは大変な美形だったそうです。
安珍は、旅の途中、ある家で一夜の宿を借ります。
その家には『清姫(きよひめ)』というかわいい娘がおりました。
清姫は、美形の安珍に一目ぼれ。
安珍の寝床に清姫は忍び込みます。夜這いですね。
安珍は驚きましたが「私は仏に仕える身。この様な事は困ります」と清姫を拒みます。
しかし、清姫はあきらめません。
困り果てた安珍は
「熊野権現の参詣を済ませたら、もう一度、戻って参ります、その時になら清姫様のおっしゃるようにしましょう」」と嘘を言ってしまいます。
それを聞いて清姫はようやくその場はあきらめます。
翌日、旅立っていく安珍。見送る清姫。
しかし、戻ってくるはずの日になっても、安珍は姿を現しません。
安珍は清姫に逢わないように、熊野権現から別な道を使っていたのです。
清姫はいてもたってもいられず、安珍の後を追います。
途中、旅人に尋ねると安珍は別な道を行った事を知ります。
「裏切られた!」
清姫は必死に安珍の後を追います。
凄まじい形相の清姫は、田畑、村々、野山の数十キロを駆け抜けます。
足は擦り切れ血を流しながら、安珍に追いつきます。
「おお! あのお姿は、安珍さま! 安珍さまぁぁ!」
安珍に声をかける清姫。
追いつかれたことにあわてる安珍。
清姫の姿は、かわいい娘から鬼女の様な姿になっておりました。
「私は安珍ではない! 人違いじゃ。安珍ではない! 私に良く似た別人がしたことだ!」
逃げる安珍。船で川を渡ります。
清姫は叫びます。
「安珍ではないと、人違いじゃと逃げるなんて。卑怯者。
悔しい。悔しい。情けない。
逃がすものか。どこまでも追って行かずにおくものか。
待てぇ。安珍!」
安珍を追う為に川に飛び込んだ清姫の姿は大蛇へと変わりました。
火を吹く大蛇です。
大蛇の姿で川を渡り安珍を追います。
安珍は、道成寺(どうじょうじ)というお寺に逃げ込みます。
「お助けてください! お助けてください! 鬼女に追われております!」
安珍が事情を話すと道成寺のお坊さん達は、
「それならば、鐘を下ろして、その中に隠れると良い」と言い、鐘を下ろすと、安珍をその中に隠しました。
大晦日の除夜の鐘でつく大きな鐘の中です。
「待てぇ、安珍! どこにいる!」
大蛇になった清姫が、道成寺の石段を這い上がってきます。
道成寺に入った大蛇の清姫は、鐘に隠れた安珍を間もなく見つけます。
「おのれ、安珍! こんな所に隠れたな!」
大蛇の清姫は、安珍の隠れた鐘を、その蛇の体でグルグルと七巻き半に巻きつくと、口から火を吐き、鐘の中の安珍を焼き殺してしまいました。
安珍を焼き殺した大蛇の清姫は、鐘から離れると血の涙を流しながら自らも池に入水して死んでしまいました。
お話の内容は伝えられ方によって違いがありますが、これが『安珍・清姫伝説』の大筋です。
このお話の教訓は何かといえば、それは見方によって違うと思いますが、
清姫の様な『愛しているけど憎い』という感情があるということ。
『恋愛は二人の想いが互いに尊重されなければいけないということ』。
さらには、安珍の言動から『人は言ったことには最後まで責任を持て』とか『女心をもてあそんではいけない』ということでしょうかね。
この『安珍・清姫伝説』の解釈は、その人の恋愛観や人間観が反映されるようです。
「かわいさ余って憎さは百倍」や「愛しているけれど、憎い」の様な相反する感情が同時にある状態を『アンビバレンス(両面価値)』と言います。
愛していればいるほど、相手への欲望は大きくなるものです。
強い思いであればあるほど冷静な判断が出来なくなっていくことがあります。
「私はこんなに想っているのだから、この想いが届いて当たり前。あの人無しではいられない。いられないのだから他の道は無い。他に選択肢が無いのだから、私の考えが正しいのだ」と思うようになります。
相手の言葉やまわりの言葉など理解出来なくなります。
冷静に物事が考えられないから、自分の望みがかなえられないと耐えられない苦痛となります。
自分は正しいのだから、正しく行動しない相手が悪い。相手が与える苦痛はやがて怒りや憎しみに変わっていきます。
愛する感情が強ければ強いほど、憎む感情も強くなるのです。
『アンビバレンス』ではなくても、
恋愛の別れの場面で相手を責める事がありますよね。
別れを決めるまで相手を愛していればいる程に、別れる時に相手を責める言葉は厳しくなります。
「あの時、こうして欲しかった」「そういうところが嫌なの」「そういう性格だから別れたいの」「ナゼ、あんな事を言ったの?」「なんで、あんなことしたの?」
本当はそんな事を言いたくないけれど、ずっと我慢して来た言葉だから言ってしまう。
本当に好きだったから、大事な存在だったから言ってしまう。
愛情と憎しみは常に表裏一体です。
≪Youtube動画≫
まんが日本昔ばなし『安珍清姫』
「愛しているけれど憎い」という様な相反する感情が同時に存在する状態が人にはあります。
例えば、
『安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)伝説』は、歌舞伎などの題材になり語り継がれてきた昔話です。
むかしむかし。
奥州白河から熊野権現を参詣しようと旅をする若いお坊さんがいました。
お坊さんの名は『安珍(あんちん)』。
安珍は、それはそれは大変な美形だったそうです。
安珍は、旅の途中、ある家で一夜の宿を借ります。
その家には『清姫(きよひめ)』というかわいい娘がおりました。
清姫は、美形の安珍に一目ぼれ。
安珍の寝床に清姫は忍び込みます。夜這いですね。
安珍は驚きましたが「私は仏に仕える身。この様な事は困ります」と清姫を拒みます。
しかし、清姫はあきらめません。
困り果てた安珍は
「熊野権現の参詣を済ませたら、もう一度、戻って参ります、その時になら清姫様のおっしゃるようにしましょう」」と嘘を言ってしまいます。
それを聞いて清姫はようやくその場はあきらめます。
翌日、旅立っていく安珍。見送る清姫。
しかし、戻ってくるはずの日になっても、安珍は姿を現しません。
安珍は清姫に逢わないように、熊野権現から別な道を使っていたのです。
清姫はいてもたってもいられず、安珍の後を追います。
途中、旅人に尋ねると安珍は別な道を行った事を知ります。
「裏切られた!」
清姫は必死に安珍の後を追います。
凄まじい形相の清姫は、田畑、村々、野山の数十キロを駆け抜けます。
足は擦り切れ血を流しながら、安珍に追いつきます。
「おお! あのお姿は、安珍さま! 安珍さまぁぁ!」
安珍に声をかける清姫。
追いつかれたことにあわてる安珍。
清姫の姿は、かわいい娘から鬼女の様な姿になっておりました。
「私は安珍ではない! 人違いじゃ。安珍ではない! 私に良く似た別人がしたことだ!」
逃げる安珍。船で川を渡ります。
清姫は叫びます。
「安珍ではないと、人違いじゃと逃げるなんて。卑怯者。
悔しい。悔しい。情けない。
逃がすものか。どこまでも追って行かずにおくものか。
待てぇ。安珍!」
安珍を追う為に川に飛び込んだ清姫の姿は大蛇へと変わりました。
火を吹く大蛇です。
大蛇の姿で川を渡り安珍を追います。
安珍は、道成寺(どうじょうじ)というお寺に逃げ込みます。
「お助けてください! お助けてください! 鬼女に追われております!」
安珍が事情を話すと道成寺のお坊さん達は、
「それならば、鐘を下ろして、その中に隠れると良い」と言い、鐘を下ろすと、安珍をその中に隠しました。
大晦日の除夜の鐘でつく大きな鐘の中です。
「待てぇ、安珍! どこにいる!」
大蛇になった清姫が、道成寺の石段を這い上がってきます。
道成寺に入った大蛇の清姫は、鐘に隠れた安珍を間もなく見つけます。
「おのれ、安珍! こんな所に隠れたな!」
大蛇の清姫は、安珍の隠れた鐘を、その蛇の体でグルグルと七巻き半に巻きつくと、口から火を吐き、鐘の中の安珍を焼き殺してしまいました。
安珍を焼き殺した大蛇の清姫は、鐘から離れると血の涙を流しながら自らも池に入水して死んでしまいました。
お話の内容は伝えられ方によって違いがありますが、これが『安珍・清姫伝説』の大筋です。
このお話の教訓は何かといえば、それは見方によって違うと思いますが、
清姫の様な『愛しているけど憎い』という感情があるということ。
『恋愛は二人の想いが互いに尊重されなければいけないということ』。
さらには、安珍の言動から『人は言ったことには最後まで責任を持て』とか『女心をもてあそんではいけない』ということでしょうかね。
この『安珍・清姫伝説』の解釈は、その人の恋愛観や人間観が反映されるようです。
「かわいさ余って憎さは百倍」や「愛しているけれど、憎い」の様な相反する感情が同時にある状態を『アンビバレンス(両面価値)』と言います。
愛していればいるほど、相手への欲望は大きくなるものです。
強い思いであればあるほど冷静な判断が出来なくなっていくことがあります。
「私はこんなに想っているのだから、この想いが届いて当たり前。あの人無しではいられない。いられないのだから他の道は無い。他に選択肢が無いのだから、私の考えが正しいのだ」と思うようになります。
相手の言葉やまわりの言葉など理解出来なくなります。
冷静に物事が考えられないから、自分の望みがかなえられないと耐えられない苦痛となります。
自分は正しいのだから、正しく行動しない相手が悪い。相手が与える苦痛はやがて怒りや憎しみに変わっていきます。
愛する感情が強ければ強いほど、憎む感情も強くなるのです。
『アンビバレンス』ではなくても、
恋愛の別れの場面で相手を責める事がありますよね。
別れを決めるまで相手を愛していればいる程に、別れる時に相手を責める言葉は厳しくなります。
「あの時、こうして欲しかった」「そういうところが嫌なの」「そういう性格だから別れたいの」「ナゼ、あんな事を言ったの?」「なんで、あんなことしたの?」
本当はそんな事を言いたくないけれど、ずっと我慢して来た言葉だから言ってしまう。
本当に好きだったから、大事な存在だったから言ってしまう。
愛情と憎しみは常に表裏一体です。
≪Youtube動画≫
まんが日本昔ばなし『安珍清姫』