『言霊』とか『ありがとうは魔法の言葉』など、多くの人は、言葉に誰かの感情を変える力(チカラ)があると考え、言葉が誰かの力になるのだと思っていますよね。
 だから、悲しんでいる人に対して、実質的には何も出来ないけれど、せめて思いを込めて「がんばってください」とか「お気持ちわかります」とか「止まない雨は無いから」とか「明日は来ます」「夜明け前が一番暗いものです」とか「泣くと楽になりますよ」とか「生きていてくれて良かった」とか「前を向いて行きましょう」などの言葉をかけます。

 確かに、言葉には「力」があるのかもしれません。
 共感してくれたことで、心が楽になったり、悲しみが和らいだりする人はいるものです。

 ただ、力は良い方向に働く事ばかりではありません。
 力があるからこそ痛みを与えることもあるものです。

 何もかもを失った人が、『お気持ちわかります』と声をかけられたら、
 「アナタに、なんで私の気持ちがわかるんだ。簡単にわかってほしくないし、わかったつもりになってほしくない」と思う人もいますし、
 『がんばってください』と言われて、
 「とっくに、がんばってるよ。これ以上、何をどうがんばれと言うんだ」と思う人もいます。
 『泣いたら楽になりますよ』と言われても、
 大きな悲しみの中で泣きたくても泣けない人にとっては、泣けと言われるのは酷な事で、泣けない自分を再認識して辛さが増すばかりです。

 もちろん「そう言ってくれてありがとう」と思う人も多くいます。
 ですが、悪気は無く良かれと声をかけた言葉が、相手のストレスや悲しみを増やすだけの事があるのですね。


 『サバイバーズ・ギルト』という言葉があります。
 災害や戦争、事故、事件などで、生き残った者が感じる罪悪感の事です。
 「なぜ、自分だけが助かったのだろう・・・」「自分だけが助かってしまった・・・」「あの時、手を離してしまったからあの人を助けられず、自分だけが助かってしまった・・・」「どうすることも出来なかった。見捨てるしかなかった・・・」、この様な感情から罪悪感を感じたり、罪悪感から生きている自分を許せなくなるのです。

 「あなたが生き残ってくれて良かった」「亡くなった人の分もがんばりましょうね」
 こんな言葉も、
 生き残ったことに苦しんでいる人にとっては、なおさら苦しみを深める言葉になる場合があります。
 楽にしてあげるはずの言葉が、さらに重荷になるのです。

 
 苦しみ悲しんでいる人に直接相対した時、
 『言霊』などの、言葉に力がある考えが流行っているせいか、人は、ついつい気の利いた言葉を言おうとしたり、
 また、他にかける言葉がないからと「がんばってください」などの(わかりやすい)前向きな言葉をかけたりするものです。
 
 言葉をかける事が必ずしも悪い事ばかりではありませんが、
 何も言わずに、ただ、話を聞くだけにしておくことも出来ますよね。
 気の利いたことは言わず、ただ頷いて話を聞くだけ。
 もちろん真剣に聞かなければなりません。
 共感しながら黙るのです。
 相手の事を想って、言ってあげたい、励ましたいことがあっても言わずにガマンする強さ。
 言うのも勇気ですが、黙るのも勇気です。
 
 苦しみ悲しんでいる人の話を聞いて頷くだけ。
 「いつかは前向きになれる時がくるかもしれないけれど、今は、話を聞いてくれる、それだけで充分にありがたい」と思う人も多くいると思います。


 強い信念の言葉で誰かを救う。自分の言葉で誰かを救うことが出来る時もあると思います。
 でも、大きな悲しみや喪失感の前では、自分の言葉など無力なのだという謙虚な心も忘れ無い方が良いと思うのです。