「メディア」展望紙、2023年3月号に、高峰武氏が「再審は人間の復活ー資料集から問わったこと」という批評を寄稿している。

 

 

同じような冤罪事件で再審が決定したという袴田氏のことが、今日、報道されている(2023.3.14)。

   

 「再審決定」、このことに、どんな重い意味があることなのか、高峰氏の次の文章で、感じとっていただきたい。

 

  記事の一部を下記に引用する。

  

 水俣病事件と向き合い続けた医師の原田正純氏がこんなことを言った。「水俣病が差別を生んだのではなく、差別のあるところに水俣病が起きた」。この伝にならえば、「差別のあるところに冤罪が起きた」と言えるのではないか。人として認められなかったから突然連行され、自白を強要された、人として認められなかったから無罪になっても年金がもらえなかった…免田さんの立場になってその例を挙げれば切りがない。「再審は人間の復活なんです」。ここには社会の裂け目に落とされた人間が見た私たちの社会の実相が込められている。

 

  警察、検察、裁判官という国家権力の行使側にいる人たちに、予め人を下に見下す差別意識が遍在し続けていて、それが冤罪を生む根源的な土壌になっていることを知り、愕然とするばかりだ。

 以下、原文のコピーを転載させていただく。

 じっくり読んでいただきたい。