2022年11月11日朝日新聞朝刊から転載

 


 この夏、千ページに近い「検証・免田事件[資料集]1948年(事件発生)から2020年(免田栄の死)まで」(現代人文社)が出版された。なぜいま、免田事件なのか。事件にこだわり続ける理由は何か。新聞記者として事件の検証取材を続け、資料集作成に関わった高峰武・熊本学園大学特命教授に話を聞いた。

 

 ――免田事件、正直申し上げて過去の話だと思っていました。

 

 「いま、まさに現在進行形ではないでしょうか」

 

 ――現在進行形ですか?

 

 「記者としてこの事件の検証取材を続けてきましたが、やりきった感覚がまだないのです。見込み捜査、自白を得るための厳しい追及、物証の軽視。冤罪(えんざい)を生む原点ともいうべき構造が事件にはありました。事件を検証した1986年の最高検の報告書が、『泥縄式捜査』と痛烈に批判しています。ところが、最高検は報告書を公式に公表していませんし、冤罪を生んだ原因に関する公的機関による調査・検証はありません」

 

 「誤った捜査、誤った裁判、誤った報道を起こさないためにどうすればよいのか、失敗を教訓としないと同じ失敗を重ねることになる。実際、4件の死刑再審事件の後も冤罪は続きました。取り調べの録音・録画や容疑者段階からの国選弁護の導入などが制度改革として採り入れられましたが、取り調べへの弁護士立ち会いや再審法改正などは手つかずのままです」

 

 ――神戸連続児童殺傷事件の少年の記録など家庭裁判所で記録廃棄が問題になっていますが、検証が不可能になってしまいます。

 

 「資料は誰のものかが問われています。国民のものなのです。そういう意識が当局側に欠けているから、記録を平気で廃棄する。私たちは免田事件の資料集を作りましたが、本来は公的機関が作り、広く公表してもいいわけです」

 

     ■     ■

 

 ――資料集作成の経緯を教えてください。

 

 「2018年に免田さんの妻玉枝さんから『家にある資料を役立ててほしい』と言われ、免田さんが獄中から家族や支援者、弁護人にあてた手紙など段ボール箱約20箱分を預かりました。資料を読み解くため、新聞社時代の同僚の甲斐壮一さん、RKK熊本放送の記者だった牧口敏孝さんの3人で免田事件資料保存委員会を立ち上げました。3人とも再審無罪判決以降、事件を取材し、免田さんと交流を続けてきた仲間です」

 

 ――作成の過程でどんな発見がありましたか。

 

 「まったく知らなかった免田さんの獄中の様子がわかってきました。死刑確定から再審無罪までの31年半余り、死刑執行への恐怖と冤罪を晴らすことへの執念で生きてきたと思っていたのですが、免田さんはもっと深いところで冤罪の構造を見ていたのです」

 

 「免田さんは、捜査官から『我々はおまえらとは違うんだ』と言われてひどい取り調べを受けたことを振り返り、同じ人間として扱って欲しかったと語っています。人として認められなかったから、アリバイの主張も聞き入れてもらえなかった、と。再審を拒む権力の鉄の壁を打ち破り、『人間の復活』を目指したのだと思います」

 

 ――人間の復活とはどんな意味なのでしょう。

 

 「人として人に認めさせることです。無実だと訴えても聞き入れられない。釈放後も無実なのに『なぜ自白した』と世間から刺すような視線を向けられる。年金も人並みにもらえず、自ら世に問い、再審無罪となった元死刑囚が特別に年金を受給できる特例法の成立にこぎつけます。『日本の人権は虹みたいなものだ、遠くから見えるが近づくと消える』。これは免田さんから聞かされた言葉です。人権という美しい言葉はあるけれども、そばに近づいたら存在しない、言葉だけなのだということを言いたかったのだと思います。免田さんの存在が映し出すのは、日本社会の『暗点』です」

 

 ――高峰さんの事件に対する執念のようなものを感じます。

 

 「新人記者時代、会社の先輩から酒席でこんなことを言われました。『井の中のかわず大海を知らずの続きを知っているか。こういうんだ、大海を知らずして井の深さを知る』。出典もはっきりしない言葉なのですが、妙に心に残っています。私たち地域メディアの記者の仕事は、地域の個別のテーマや課題を徹底的に追求し、普遍的岩盤を見つけることだと考えています。井の深さを知ることによって大海、普遍につながる道を見つけていく。私は、免田さんという一人の人間から司法を見る視点を教えてもらいました」

 

 「気づかせてもらったのは、日本の司法のいびつさです。免田さんから聞いた、死刑囚の間で語り継がれている言葉があります。『一人の警察官のした事件処理は、最高裁判決に類する』。不思議なことを言うと最初は思ったのですが、よくよく考えてみるとその通りなのです。様々な証拠がありながら、検察官も裁判官も強引に作られた警察の自白調書の問題点に気づかず、最高裁で死刑が確定したわけですから」

 

 「冤罪が起こるのは、国民の多数の意識と無縁ではないのではないか、私たちが闘うべき相手は実は私たちの中にもあるのではないか。最近、よく考えています」

 

 ――どういうことでしょう。

 

 「私は水俣病の問題も取材を続けてきました。水俣病の公式確認は1956年です。ビニールの原料などを作る工程で発生した有機水銀をチッソが流し続けて引き起こしたものですが、長い間、被害者たちの窮状を訴える声は社会に届かず、皮肉なことに第2の水俣病が65年に新潟で確認されてようやく第1の水俣病に目が向けられるようになりました」

 

 「この66年を振り返っても、水俣病の被害者を真ん中に置いた対策が取られたことは果たしてあったでしょうか。法の下の平等や健康で文化的な生活を営む権利という憲法が保障する価値は、ものの見事に産業優先の中で踏みにじられていきました。被害を訴えても工場排水は止まらない。社会の多数の側は被害者の犠牲のうえに自分たちがいるということに気づかない。水俣病の被害者は、憲法の外に置かれた人だったと意識するようになりました」

 

     ■     ■

 

 ――「憲法の外」といえば、ハンセン病患者を強制隔離した「らい予防法」を違憲とする2001年の熊本地裁判決が出るまでに長い時間がかかりました。

 

 「60年以降、ハンセン病は隔離政策を用いなければならないような特別な疾患ではなくなっていました。隔離の必要性が失われていたにもかかわらず、誰も異を唱えず、漫然と続いた。ここにも日本という国の岩盤の問題があります。ハンセン病患者は、特別に設置された『特別法廷』で、非人間的な差別的取り扱いの下、裁判を受けてきました。最高裁は95件の『特別法廷』について謝罪しましたが、『違憲』とは認めてはいません」

 

 「療養所の塀の中はもちろんですが、塀の外、私たちの社会が変わる必要があります。強制隔離という公権力の行使は、私たち国民の多数派の意識を反映して行われてきたからです」

 

 「1956年8月、熊本地裁八代支部の西辻孝吉裁判長は、免田さんのアリバイを認め、再審開始を決定します。しかし、福岡高裁で取り消され、最高裁も支持したため、再審無罪判決を得て免田さんが社会に戻るまでにその後さらに27年の歳月を要したのです」

 

 「取り消しの理由の一つに、福岡高裁は『法の安定』という言葉を使いました。この視点に立てば真犯人が出てくるといったよほどのことがない限り、死刑判決の維持に重きが置かれる。多くの人々が望む『社会の安定』といってもいいでしょう。日本の司法は間違いをただす機会を逸したのですが、私たちの意識の問題としても受け止めなければなりません」

 

 ――免田事件の教訓として何を次世代に伝えたいですか。

 

 「まず間違わないこと。もし間違ったとしたらそのことに気づいてすぐに訂正する。司法だけでなく、そんな柔らかな社会を構想していくことではないでしょうか」

 

     *

 

 たかみねたけし 1952年生まれ。熊本日日新聞編集局長、論説主幹を経て熊本学園大学特命教授。著書に「生き直す 免田栄という軌跡」(弦書房)など。

 

 

 ◆キーワード

 

 <免田事件> 1948年12月30日未明、熊本県人吉市で祈祷(きとう)師一家が襲われ、祈祷師と妻の2人が死亡し、幼い2人の姉妹が重傷を負った。免田栄さんが逮捕・起訴され、一度は容疑を認める自白調書が作られるが、その後は一貫して無罪を主張。1952年1月に最高裁で死刑が確定した。免田さんは再審を6度請求し、1983年7月、熊本地裁八代支部がアリバイを認めて無罪を言い渡した。四大死刑冤罪事件のひとつとして知られる。2020年12月5日、免田さんは老衰で亡くなった。95歳だった。

 

 

               ※                                  ※

 

武良コメント

 

 このブログで繰り返し述べてきたが、特に、高峰氏の次の点への指摘が、とても重要だと思う。

 

  「気づかせてもらったのは、日本の司法のいびつさです。免田さんから聞いた、死刑囚の間で語り継がれている言葉があります。『一人の警察官のした事件処理は、最高裁判決に類する』。不思議なことを言うと最初は思ったのですが、よくよく考えてみるとその通りなのです。様々な証拠がありながら、検察官も裁判官も強引に作られた警察の自白調書の問題点に気づかず、最高裁で死刑が確定したわけですから」

 

 「取り消しの理由の一つに、福岡高裁は『法の安定』という言葉を使いました。この視点に立てば真犯人が出てくるといったよほどのことがない限り、死刑判決の維持に重きが置かれる。多くの人々が望む『社会の安定』といってもいいでしょう。日本の司法は間違いをただす機会を逸したのですが、私たちの意識の問題としても受け止めなければなりません」

 

 この高峰氏の言葉から覗えることは、警察の思い込みによる、捜査段階での過ちの重要さもそうだが、司法に携わる者たちは、司法的な紙の上での事務処理だとしか思っていなくて、その向こうに生身の個としての命の尊厳を有する「人間」がいること、そのことに対する畏怖心の欠片もない、という点である。

 これは永遠に続く悲劇であり、今後も決してなくなることはないと、ということだ。

 様々な権威を有する立場に立つ者たちの言葉や態度は、厳しく検証され、糺されなければ、社会いっそう腐敗してゆくのみであろう。

 

 そういう意味で、永年にわたる、この高峰氏たちの努力は貴重である。