村の黒うさぎのブログ 

村の黒うさぎのブログ 

大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

長野県境に位置する、岐阜県中津川市。
若い頃、中津川市に職場があり、市立図書館へ通った。また当時は、よく市の公共施設を利用させて頂いた。

中津川市主催の文化講座、「史跡探訪講座」で、「苗木城」について、一年間学んだことがある。
岐阜県中津川市苗木城。
苗木城主は、一万石の大名、遠山氏。賜った爵位は男爵。
何時の年代か失念したのだが、当主は侯爵家の姫を妻に迎えている。江戸の大名屋敷が隣同士で、当主と隣の姫は幼なじみ。恋愛結婚だった、というお話だ。文化講座で学んだ内容の一つだ。

苗木の城下町を、何度か歩いたことがある。中津川市の街の中心部から外れていて、のどかな町並みである。
苗木城は高台にあり、一方向が川に面しているという、"築城の条件"のもとにある。合戦に於いて敵が攻め難い、有利な地形だった。
主人の話では、世界中のお城は例外を除いて、そういう地形の条件下に築城されているそうだ。

2016年、NHKで時代劇「一路」が放映された。
地域・藩の規模・景観の特徴から、苗木城主遠山氏がモデルではないか、と主人は言うのだ。
愉快な連続ドラマだった。薪坂左京大夫の家臣・小野寺一路が主人公で、活躍する。
古式ゆかしい参覲交代を行うために、「供頭」の一路は尽力する。
雪深い峠越え、殿の発熱、将監らが左京大夫の命を狙ったり...と、事件は続くのだった。
三万石の大名の姫が、一路に叶わぬ片想いをする場面もあった。
苗木城に馴染みのある者としては、ドラマの舞台設定に取り上げて頂き、喜ばしいことである。

二十代、三十代の時には、よく苗木城跡へと出かけた。
かつてお城のあった場所は、生い茂った山林に囲まれた、なだらかな傾斜地だ。城跡には、いろいろな史跡があり興味深い。
人影のまばらな、ひっそりとした雰囲気だ。そんな中に、記念博物館が建っている。
最近のお話によれば、新しく城跡に展望台も出来たそうだ。

平成の町村合併で中津川市に村落が合併し、観光地の区分域が、新しくなった。それに伴い、市内の観光地域に対し、方針も改められた。
現在では、観光客や地元の人達の動向も、変わっているかも知れない。

長野市の松代町も、お城のあった城下町だ。
市内の「切り絵美術館」を訪れるにあたり、作家のお住まいのある、松代町の様子も見学に行った。
目の前から山麓が始まる様な場所で、ぶどう畑と桑畑がどこまでも広がり、自然の中に家々があった。
松代町の人々は、先祖が武士の家柄で、人々は胸を張って歩いている、と聞いたことがある。苗木の城下町の人々も、そういう意味では、同様であろう。

私の実家のある町中の、郵便局にて、職員さんから聞いたことがある。御先祖が代々苗木城の厨房係だったそうで、それにまつわる痛快で楽しいお話だった。

私の大伯母も、苗木の城下町に嫁いでいる。子供が独立して、横浜で貿易商をしていた。
私の学齢期には、又従姉から、洋服の御下がりをよく送って頂いた。ブレザーとかワンピース等、私に似合うかは別として、横浜のブランド品を送って頂けた。

中津川市では、栗の和菓子が有名である。数件の店舗では、銘菓として名高い。
名古屋辺りからも、中津川市へ栗の和菓子を求めに訪れる、お得意様達がいる。名古屋の薬局に勤務していた頃、職場の先輩も、やはり栗の和菓子を話題にしていた。

晩夏に、中津川市の郊外をウォーキングしたことがある。
畑で栗の木が栽培され、つやつやとぱっちりした、見事な栗が実っていた。



苗木城と城下町、その周辺をめぐってのお話しだった。