※このブログでは、生きていく上で大切な対象、例えば人、物、生き方やアイデンティティなどを失うこと(対象喪失)と、その後に起こる「グリーフ」という心の反応について書いています。
グリーフの中にいるとき、自分の感情がよくわからなくなったり、逆に、抑えきれないほど強い感情に飲み込まれてしまったりすることがあります。
悲しみ、憤り、罪悪感、抑うつ、無力感など。
「こんなふうに感じる自分はおかしいのではないか」
「もっとコントロールできるべきではないか」
と思ってしまうこともありますが、感情は本来とても個人的なもので、この状況ならこう感じるのが正解、という決まりはありません。
あなたの感情は、自分だけにわかる正当性があるもので、誰に合わせる必要もありません。
よくわからないけれどいつもと違う
というだけで十分な時期もあります。
また、感情は「心の空模様」とはよく言ったもので、
晴れたり、曇ったり、突然嵐になったり、しばらく何も感じないような空白の時間が訪れることもあります。
同じ空が、同じ状態のまま固定され続けることはほとんどなく、理論的には、感情は「消えていくもの」「形を変えていくもの」だと説明されます。
ただ、グリーフの渦中にいるときには、
「本当に変わるのだろうか」「このままずっと続くのではないか」
のように、感じられることもあり、それも自然な流れです。
「変わると信じられない」という感覚も、ちゃんとした感情の一つ。
それは喪失のただ中にいる心が生み出す、正直な反応です。
その感情も含めて、今、自分が喪失の途中にいるのだと理解できたら、それで十分すぎるくらいです。
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喪失後の感情の移り変わりについては、さまざまな考え方がありますが、
ここでは一つの説として、精神科医キューブラ・ロスが提唱した「悲哀の5つのプロセス」を紹介します。
1.否定と孤独
信じられない、受け取れないという感覚。
周囲とのズレから孤独を感じ、「なぜこうなったのか」という説明を探し続ける。
不安や焦り、落ち込みが強くなることもあります。
「なぜ自分がこんな目に」という憤り。
運命や身近な人、社会、自分自身に怒りが向くこともあります。
何とか取り戻せないかと模索する段階。
後悔や自責、「もっとこうすればよかった」という思いが繰り返されます。
避けられない現実を前に、無力感や虚無感に沈む状態。
悲しみや孤独が深くなります。
喪失を人生の一部として静かに抱えられるようになる。
安らぎや落ち着きを感じる瞬間が増えていきます。
これらの感情は別々に現れるものではなく、順番通りに進んだり、一気に切り替わったりするものでもありません。
同時にいくつも感じることもあれば、行きつ戻りつしながら、ある場所に長く留まることもあります。
やがて、喪失を人生の一部として抱えられる瞬間が少しずつ増えていきます。それは「乗り越えた」というより、「一緒に生きられるようになった」という感覚に近いのかもしれません。
この説が役に立つのは、数か月、あるいは数年という長い時間の流れの中で振り返ったとき、こうした移り変わりが確かに見えることがあるからです。
ただし、渦中にいる当事者がこのプロセス通りに、着々と前に進んでいると意識するかというと・・・そうじゃない場合が多々あるのも事実です。
私が普段、聴かせていただくお話でもそう感じますし、
私自身、特にかつてうつ病を経験した時のことを思い出しながら書いていますが、その中で「抑うつから安らぎに向かっている」という実感を持てたことは、ほとんどありませんでした。
理論の図で見るほど、気持ちの現実は整然とはしていなかったという思い出があります。
複数の感情を同時に抱えつつ、前進の手応えを感じるよりも、やり場のない気持ちの行き場を探して「やはりまだ心が痛い」という感覚とともに日々を過ごしていくことのほうが多いのではないでしょうか。
そのうち、ふとした瞬間に「あれ、少し楽になったかもしれない」と感じることもありますが、また強い感情が戻ってきて、「気のせいだったのか」とガッカリする。そんな行きつ戻りつを何度も繰り返します。
そして、ずっと後になって振り返った時、「ああ、確かに以前とは違う場所にいる」と気づくこともある。
グリーフの歩みとは、そうしたものなのかもしれません。
それでも、このプロセスは「こう進まなければならない道筋」ではなく、喪失を理解するための一つの見取り図として知っておくと役に立ちます。
喪失の後にこのような気持ちが訪れるのは自然だし、人類に普遍的なことでもある。
そういう理解をもとに、嘆きの谷を歩く道具箱に、そっと入れておいていただきたいです。
心理学ではよく「感情は、何かの必要があって出てくるもの」だと言われます。
悲しみも不安も、一つ一つが自分を守ったり、何かを伝えたりするために現れている反応である、という意味です。
この見方を、喪失のあとに現れる感情に当てはめてみると、
そこに浮かび上がってくるのは、それだけ深く関わり、愛情をもってきたという事実です。
悲しみが深いのは、それだけ大切にしていた存在や時間があったから。
不安が強いのは、失ったものが、これからの人生を支える重要な一部だったから。
怒りや混乱、後悔が湧いてくるのも、「どうにか守りたかった」「手放したくなかった」という思いが、心の中に生きているからかもしれません。
そう考えると、喪失の感情は、愛の裏返しであり、愛の痕跡でもあります。
大切な一部だったからこそ、身を削られるような痛みを引き起こします。
そのため、感情が激しく揺れることも、矛盾した思いが同時に存在することも、
どこもおかしいわけではありません。
ずっと大切にしていたかったという想いが、残響として残っていることでもあるのです。
愛が大きかった分だけ、感情が静まるまでには時間がかかります。
どうかそれほどまでに深く愛した自分を、誇りに思ってください。
このブログでは、大きな理論からはこぼれ落ちるかもしれない、細かな感情や体感にも目を向けていこうと思います。
次回は、「世界から切り離された」「自分だけが取り残されたように感じる」といった感覚、
いわゆる「離人感」について、取り上げます。







































