一生懸命努力しても上手に出来ないことや、誰にも認められないことがある。努力することは大切だといっても、それに結果が伴わなければ他人からは「無駄な努力だ」と思われる。年をとればとるほど、「いかに努力したか」よりも「どれだけの成果を上げたか」の方が重要に思えてくる。それは恐らく社会に対する適応なのだと思うけど、結果ばかり追い求めるならば、人間の「心」なんてものは要らないんだ。
どうして社会は、人が考えたり人が人と関わるために必要な心を削ぎ落として大人に仕上げるんだろう。日本では、自由に考えられるけど、自由に考えるほど社会に不適な人格として見られる。人と関わる自由もあるけど、大人になればどうしても親密になりにくい。
日本では法の下に平等なのに、社会の下では不平等なんだ。人の心にあわせて社会を創っても、人の心は社会の影響で変わる。それでも社会は、心にあわせて変化しにくい。つまり、社会に合うように心が削ぎ落 とされる。その社会は社会を持続させるため、結果を要求する。社会にとっては、法律に抵触しない限りプロセスは考慮しない。法の下に平等とは、多分そんなモノなんだ。
もしも社会の中に純粋な心があれば、努力する人は増えるんじゃないかなって思う。純粋な心はきっと赤ちゃんのように、全てが新しくて、全てを受け止めてくれるから。プロセスだって、赤ちゃんは興味津々だろうし。
