こんにちは。 真面目なことを書くと言いましたので、書かせていただきます。
注意事項
この内容は、あくまで現在の私個人の考えです。統計的な根拠も医学的な根拠もありません。母数1分の1のデータです。また、一部の書籍や論文を引用する可能性もありますが、あくまで私なりの解釈です。内容が飛躍していたり、曲解していたりする可能性が大いにあります。
「100人100色の『回復』」というタイトルの記事があるように、人それぞれの解釈があるものと思います。「回復」の定義も人によって異なるでしょう。私は「私自身」が回復しているという理由をいくつかこじつけることはできますが、それが真に「回復」であるかは分かりません。
例えば、昨年の採血で肝機能の数値は改善したと言われましたが、萎縮した脳が現在どうなっているかMRIを撮ったわけではありません。そのため、医学的な回復が完全に保障されているわけではないのです。
それでも、書いておきたいと思いました。いつか、あるいは投稿した次の瞬間にでも、内容の浅はかさに気づいて消してしまうかもしれませんし、謝罪記事を投稿するかもしれません。あくまで「今の経験に基づいた解釈」として受け止めていただけますと幸いです。
くどくどと書いてしまいました。すでにお疲れの方や、このような雰囲気の文章が苦手な方は、この先を読むのを控えていただいた方が有意義かと思います。面白い記事は他にもたくさんありますので、どうかご無理をなさらないでください。
ここまで読んでなお、先を読んでくださる方。 最後までこの調子の文章が続きますが、どうかお付き合いください。内容が大きくぶれることもありますが、お許しください。
記事を書こうと思い至った理由
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ネットサーフィン中に「摂食障害者は超わがままちゃん」という言葉を見つけ、引っかかりを覚えたため。
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近々、憂鬱なイベントがあり、その現実逃避のため(私の創作活動が最も捗るのは現実逃避の時です)。
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高まった承認欲求のため(私の創作意欲はここから生まれます)。
原因についての私の解釈
私の思う「私の摂食障害の原因」は、「現実の年齢に伴う役割に、心のほうがついてこなかったから」ではないかと考えています。
その内容を書く上で、私の(略し切れていない)略歴を記しておこうと思います。
私の家は、絶対的な貧困ではなく、驚くほどのお金持ちでもありませんでしたが、生活には十分でした。
外食は少なかったですが、5歳くらいまでは月に一度、買い物帰りに回転寿司に行っていた記憶があります。誕生日やクリスマスにはケーキもプレゼントもありました。祖父についていく形で、2週間前後の長期的な国内旅行に行ったこともあります。それくらいの経済的な余裕はありました。
しかし、両親の関係はあまり良くありませんでした。父親は母親によく怒鳴り声を上げていましたし、食事中に怒りのあまり箸をへし折って投げてきたこともあります。今で言えば「面前DV」に当たるでしょう。そんなわけで、父親と関わるのは嫌でしたし、母親にばかりくっつく子供でした。おそらく、父親はそれが気に食わなかったのでしょう。そのことは最近になってようやく分かりました。
そして相性の悪いことに、私は「自分のことは自分で決めたい」「したくないことはとことんしたくない」「気になったことがあればそちらしか見ない」という性格の子供でした。ついでに、父親の曼荼羅やプラモデルを遊んでいる最中に壊してしまい、素直に謝らない「クソガキ」でもありました。
それでも、父親の言うことは比較的聞いていたように思います。怒られて、ぶたれるかもしれない恐怖の方がはるかに恐ろしかったからです。
そんなこんなで、自分の意思表示が苦手になりました。言いたいことを引っ込めて、家族の機嫌を伺う方が得意になったのです。それでも数回は「やらかして」いますが、それは私の中途半端さゆえのガス抜きだったのだと思います。
もしこれらを徹底できていれば、私はもうこの世にいなかったか、あるいはこのようなブログを書く人生にはなっていなかったでしょう。
それだけで終われば、まだ「虐待まがいの被害者」で済んだかもしれません。家庭内の問題であれば、外には漏れませんから。
ですが、前述の通り私は歪んでいました。「自分が損をした」と思えば、それを埋め合わせないと腹が立ちました。仲の良さそうな家族が羨ましくて仕方がありませんでした。
そんな中で、子供だった私は次のような「空想の約束」を自分としたのだと思います。今振り返って思うことなので確定ではありませんが、その約束をした時、私の内面の時間の一部が止まったのです。
「自分が言われる通りにしていれば、いつか自由な未来が得られる」
そこからの人生、様々な失敗をし、数々の人に迷惑をかけながらも、一応は大学まで進学しました。卒論さえ出せば卒業できるところまで来ました。間違いなく、単位を取るための努力はそれなりにしたと思います。留年もしていません。ある意味では「優等生」と言えるかもしれません。
ですが、それを自分で決めたのかは分かりません。たまたま大学進学ができたら、今度は「卒業すること」が目的となりました。その過程で何かをしようとはせず、人生で一番遊べるはずの時間に遊びませんでした。ついていくことで必死だったのです
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その結果、就職活動が始まった頃から歪みが生まれました。なぜなら、就職したら「働かなければならない」という当たり前の事実を前にして、かつての「自分の約束」が果たされないことに気づいてしまったからです。
自由がないまま働かねばならない。上司の言うことに従い、奴隷のように働かねばならない。
歪んだ認知ではありますが、これが思考のすべてを支配しました。このような認知をしてしまうあたり、私が数ある精神疾患の中から、認知の歪みが大きな影響を及ぼす「摂食障害」を選んだのも、ある種の必然だったのかもしれません。
就活では軒並み落ちました。働く心構えもないまま取り組んだのですから当然です。当時は「コロナで仕事がなかった」などと言い訳していましたが、コロナ禍でなくてもこうなっていたと思います。その結果、もともと低かった自己肯定感がさらに底を突き、それを埋めるための行為を始めました。それが、コロナの自粛期間から始めたダイエットです。
もともと中学時代は太り気味で、その記憶から太っていることへの劣等感がありました。ネットで流行りのダイエット情報を見ると、自分の好きなものは軒並み「太るもの」とされ、排除すべきだと言われていました。それらが好きだった私は、まるで自己否定されたように感じてしまいました。馬鹿げた勘違いですが、やってしまったものは仕方がありません。もともとそれくらい自分の「核」となるものがない人間だった私は、好きなものを捨ててまで痩せることを目指し、ダイエットを始めました。
結果として、それはある程度うまくいきました。カロリー制限を行い、運動も積極的に行いました。真面目に取り組んだ結果、ネットで言われる「シンデレラ体重」の範囲に入るほどになりました。体重が減るたびに「自分はやればできる」という自信が生まれました。
就活で失った自己肯定感を埋めるために、私はより一層ダイエットにのめり込みました。数値を下げれば下げるほど、自分の努力が報われている気がしたのです。体力が落ち、走れなくなり、自転車を漕ぐのが遅くなっても、「それはまだダイエットが足りないからだ」と考えました。周囲に「痩せすぎだ」と言われても、「テレビの『20kg激痩せ!』といったニュースに比べれば自分なんてまだまだだ」と思い込みました。
しばらくして就職することができましたが、体力が追いつかず、栄養不足もあり、自分を制御できなくなっていました。近所のかかりつけ医が精神科への紹介状を書いてくれました。「予約に2ヶ月かかる」という噂もありましたが、幸いにも1週間後に診てもらうことができました。
その日、「摂食障害」の診断を受けました。診断書を持って職場へ行き、仕事も辞めました。
これが、私が摂食障害になるまでの流れです。ここからようやく、もともとの原因論の話に戻ります。
私は、過去の「約束」が果たされなかったがゆえに、「止まったままの時間」と「働かなければならないという実年齢の進んだ時間」との間にズレが生じてしまいました。そして、時間を止まったほう(子供のまま)に合わせようとしたのです。
それを果たすためには、「働けない状態」にならなければなりませんでした。ダイエット(低体重)はそれと非常に相性が良かったのです。「働きたくない」という本心を見つめれば、周りと比べて自分だけが子供であることを自覚し、深く傷つくと分かっていました。だからこそ、より表層的な「痩せること」を自己肯定感に繋げようとすり替えたのです。
これが、私の「原因」です。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
もし次を書く気力が湧けば、今摂食障害と戦っている人に向けて、私が思う「どうすればよかったか」という内容を書きたいと思います。ご要望などいただけたら嬉しいです。|ω・)チラ
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