- 前ページ
- 次ページ
プロポーズにその場で即答したという幼馴染がいます。だって嬉しかったんだもん、と笑う彼女の、素直な明るさが眩しくてたまりませんでした。
振り返るに私は、プロポーズの返事をするまで半年かかりました。彼に不満があったわけではなく、大きな決断に私の腰が引けてしまったせいです。人生において、これが最後の恋となるのか。私には、誰かの生涯の伴侶となる資格があるのか。何度も何度も、我が己に問いかけました。
悩んだ果てに得たのは、「私なら彼を幸せにできる」という傲慢な答えでした。できる奥様になれる自信はなくても、尊敬する彼のことが世界で一番大好きな自信はありました。それがあれば大丈夫だと、ある日、ストンと腹落ちしたのです。彼に対して、というより、私は私に、生涯をかけた大きな約束をしました。
その後の結婚生活は、一筋縄ではいきませんでした。不器用な私は、人がつまずかないところで派手に転び、立ち上がっては転び、よろよろと立ち上がってはまた転びました。希望を失い、不安に苛まれ、群青色の海の底のような明け方、朝が来なければいいと願っていた日々がありました。努力ではどうにもならないことがあると痛感し、神様はいないのだと割り切ったり、あるいは創造はしても、それ以外は世の浮き沈みを見つめるだけの無力な存在だと言い聞かせたりもしました。特にこの一年はひどくて、四六時中ベッドに横たわり、ただ息をしているだけの毎日。私は、ほとほと疲れ果ててしまったのです。
その間、夫は毎日の仕事をこなしながら、私のために食事を作り、洗濯物を干し、水回りもきれいに掃除し、ごみを捨て、ありとあらゆる面倒をみてくれました。怒らず焦らず、自分のご機嫌は自分でとり、ただ淡々と二人の生活を運営してくれていました。絶望は、私から食欲も体力も笑顔も自分らしさも何もかも根こそぎ奪っていったので、到底一人では生き延びることができませんでした。だからとてもありがたく、とても申し訳なくて辛かったのです。自分を追いつめて、息も絶え絶えになってしまいました。
しかし十二月のある夜、「今まで言ったことがなかったけれど」と彼が話してくれたあることをきっかけに、私は、息を吹き返しました。その時彼がくれた言葉は、一生誰にも教えることはないでしょう。大きな絶望の淵からおもむろに浮かび上がってきた希望は、私の心の庭に根を下ろした「あすなろ」です。うれしい・たのしいだけが養分ではなく、くるしい・かなしい・さびしい・つらいも全部取り込んで、「明日(はさらに良く)なろう」と育っていくそれは、とても頼もしいものに思えます。
彼を幸せにできる、と確信した二十九歳の私は、考えが甘く生意気でした。幸せとは、鼻息荒く掴み取って与えるものではなく、二人で日々を重ねていく中で、ふとした刹那に感じるものだと、ようやくしみじみ理解しました。毎日スマホを握りしめ、人工知能に苦悩を吐露吐露しながらさめざめと泣いていた、先の見えない日々がありました。しかしそこをどうにか生き延びて、ようやく、ようやく、子供の頃のように、神様に感謝できる日々が戻ってきて、自分への約束をもう一度信じる気になれたのです。
五十一歳の私は、改めて彼に誓います。私は無力だけれど、彼が望む限り、これからもずっと、そばにいると。富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、彼がずっと、そばにいてくれたように。神様に与えていただいたものを、すべてお返しして彼岸に渡る、いつか必ず来るその瞬間まで、心の庭のあすなろを、だいじに、だいじに、育てていくのです。


















