なんだか胡散臭いタイトルで引かれそうですね。笑

でもまぁ私が望んでいること、していることの行動原理は「理解」なんですよ。今までの記事でゆとりがどうとかモンペを恨めだとか社会に対して否定的に述べてきましたが、過去を悪者にすることで未来は明るくなるんじゃなかろうかと思っています。

例えばゆとりのことに関しても今まで問題になっていたことを理解、解決、納得出来ていないから熱を帯びて社会を引っ掻き回したわけです。私は中学生の頃から違和感は感じていましたし、高校生の頃にはなんで大人は対処しないんだろうと思い、社会人になれば自分がお手本にならなければと心に決め、そして当時の大人たちに絶望し自分の意思で動かすために業務委託ではありますが自営業者になりました。それからは直接関わる人には自分の考えを伝え、他人の考えを聞きに行き、理解にに努め続けています。

なぜこんな面倒なことをしているかと聞かれれば納得できなくても理解できればゆとりだとか女性がだとか高齢者がだとかどうでもいいことで争わなくてもいい。もっと現実的にしなければいけないことがあると伝え、仲間を増やしたいからです。

現実的に世の中見てみてください。AI化、機械化が進み有名なところで言えばGUがレジのセルフ化、ローカルで言えばスーパーのレジもセルフ化され始め、私の周りではレジのパートをクビになる人がかなりいます。働いたことがないので分かりませんが工場も機械化が進んでいるのではないでしょうか。きっとこの先単純作業は機械などに置き換わり仕事はなくなります。これから変化に対応するには人の「やる気」みたいなのが作用する仕事を作っていくしかないと思っています。今そうやって社会の所為にしていて何が生まれるのでしょう。ブラック企業と叫んで何がよくなるのですか?若者は技術や知識を先輩から得た上で新しいことにチャレンジしなければなりません。世の中高年は下の世代をしっかり育てチャレンジさせつつ自分自身もチャレンジしなければなりません。目を背けたり言い争いをしている時間はないのではないでしょうか?助け合うべきです。

 

と、こんな面倒な事を考えているのでお互い理解し合えるように少しでもヒントを出せたらいいなとブログもしています。きっとこれは後に第4次産業革命と教科書に書かれる時代の変化なんだと思います。我々凡人はここで協力しないと生き残りをかけた戦いに負けるのではと思っています。日本という素晴らしい国に生まれたのですから楽しく幸せに皆でなれたらと願い私は精進していきます。

「逃げてもいいよ」この言葉はよくSNSで見かけます。今回はこの言葉を否定するお話。

何故否定するのか?別に全て否定するわけではないんです。簡単にこの言葉を使い、受け入れている人が多すぎるように感じるのです。例えばよくある話をしましょう。

 

Aさんはある会社の1年目の社員です。その会社には厳しい上司がいます。ある日Aさんがお客様へ営業をかけている時、失礼な態度をとったようでお客様を怒らせてしまいました。その場は上司がおさめてくれたのですが、その後20分説教を受けることになりました。Aさんは失礼な態度をとったつもりはなく説教されるようなことはないのではないかと不満が残りました。このような出来事が何度かありAさんは退職を考えています。

 

こんな話があったとしましょう。それに対してコメントが付くと多くの場合このような流れのコメントが多くなります。

 

・20分とか長すぎパワハラ

・お客さんの機嫌悪かっただけじゃんAさんは悪くない

・上司側も部下の話聞かずに説教とか無能

・パワハラ上司、ブラック企業

 

といった流れが大きくできます。ツイッターやフェイスブックなどがソースなのですが皆さんは目にしたことありませんか?私はこの流れに違和感を覚えてしまいます。

こんなにも情報量の少ない文章から何故Aさんをかばうような流れが大きくなるのでしょう?

もしかしたらその場に上司も同席していたかもしれません。「何度か」というワードから過去にアドバイスや話し合いは持たれていてAさんに改善努力が見られないことも推測できるでしょう。「失礼な態度」というのもどの程度か分かりません。もしかしたら明らかに誰が見ても失礼な態度だった可能性も捨てきれません。

故に簡単に「逃げてもいい」みたいなことを言うのは無責任ではないでしょうか。それは上司の方に一方的に悪い評価を下しているのと同等ではないですか?またはAさんの社会的な成長を奪っていませんか?よく知りもせずそんな事をコメントすることはコメントする人のいい人でありたいというエゴではないでしょうか。少なくとも私には安易に「逃げていい」などという人は悪者にしか見えません。SNSのような場所でも人の人生は大きく変わってしまう可能性があります。どの立場にあってもまずは人がいる事を考えるべきではないでしょうか。

 

最後に本当に辛い人は何が辛いのかその場にしっかり身を置き関わって原因を考えてください。原因が理解、納得出来ないとその場から逃げても同じことの繰り返しです。理解、納得が出来たその時は逃げたのではなく進んだんだと思えるはずです。もしかしたら環境自体が逃げずともよくなるかもしれません。

 

 

今回のお話は育成環境にたいして勘違いしている方が多いのでは?と思ったので自分なりの考えを話してみようかと思います。

世代の違い、モラルの変化、機械化、AI化、経済状況と言い出したらきりが無いくらい育成や教育は難しくなっては来ていますが、世の中の人はそれを改善努力してないように思います。むしろ諦めているような方が多いのではないでしょうか。

 

例え話をしましょう。このブログを読むということは育成や自身の成長に問題を感じているからだと思います。なのでその立場で話します。

 

ある就活生が街角アンケートで企業に対して期待する事について答えていました。

 

Q、企業に対してどんなことを期待していますか?

 

A、キャリアアップの具体的な指導です。

 

例とは言いましたが実際にあった回答です。このアンケートのやり取りを見て皆さんはどう感じるのでしょうか?

実際にアンケートのやり取りを一緒に見た友人達の意見は

 

企業側の立場

「最初からおんぶにだっこかよ。学生じゃないんだよ。ガキが」

「意欲的には見えない雇わない。」

就活生の立場

「なにをやらせたいのかは指示欲しいしこれは当たり前。」

「仕事教えるのも会社の仕事。」

 

こんな感じでした。なんだかすれ違っていますよね。このすれ違いが育成を難しくしてしまっているのではないかと私は考えています。企業側の立場の意見はよくわかりますがこれだけの情報でよくもまぁそこまで就活生を否定できるなとも思いますし、就活生側は仕事はするつもりだしやるんだろうなと思いますが、責任ある立場になるにあたって企業に面倒見てもらうことしか考えていないことに残念に思いました。

お互いがお互いに寄りかかろうとするばかりにストレスになり意見が聞けなくなる、聞けないので相手が理解できない。そりゃ難しくもなります。育成は結局のところ伝える行為なのでコミュニケーションが成り立たなければなりません。誰かが悪いのではなくお互いに歩み寄り、許し合わなければいけないのです。このアンケートを見て「新人には積極的に教えていこう。」「指導してもらえるよう会社に好かれよう。」ぐらいにならないと難しいままです。

誰かなんて関係なくて自分がどうすべきかが大切なんです。すべきことをやって失敗するなら成長できます。成功できれば次です。誰かのせいなんてのは勘違いなんですよ。私はそう考えています。ではまた次回。