サイトウちゃんの日々つれづれ

サイトウちゃんの日々つれづれ

何気ない個人の日々の出来事を書いていきます。

先日は、「柳家三三独演会」に行ってきました。



この日は大雪で、欠航や遅延が多々あり、それでもなんとか来られたとのこと。

ご無事で良かったです。 冬の札幌はこれが怖いところ。


古典の「高田馬場」(たかだのばば)が面白かったです。

さすが三三師匠、ガマの油売りの口上も見事なものでした。

先日は、映画「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」を観てきました。


批評は厳しいものになります。

これは戦争映画ではなく、反戦映画でもなく、反日映画になってしまっています。

脚本家はそれを意図したとまでは思っていませんが、結果的にそういうストーリーで構成されています。


まず、史実がからかけ離れています。

洞窟陣地による長期持久戦で奮戦し、天皇陛下から前例のない11回のご嘉賞のお言葉がありました。

米軍側の作戦案に当初から甘さがありました。

米海兵隊が史上最悪級の損害を出し、海兵隊第1師団は壊滅的打撃を被りました。

こういう史実は一切描かれず、兵士の士気の低さや上官の暴力などが強調されております。


反戦映画とするならば、敵味方「双方」の悲劇、人間性を描く必要がありますが、米軍兵士の心情は描かれておりません。

アメリカ側に「戦争の悲劇」を共有させる構造が存在しないのです。


日本軍上層部は無能。(実際は中川州男大佐は歴史に名を遺す名指揮官)

日本兵は無力・愚か・虐げられる存在(実際は長期間にわたり奮闘しており、他島からの逆上陸攻撃さえ行われている)

抵抗の意味を無価値と断定している(戦略は語らず兵士個々人の嘆きとして)


ペリリューの戦闘は、日米両軍にとって凄惨な戦いでした。
そして日本軍にとっては意義のある、次につながる戦いでしたが、米軍にとっては戦略的価値の低い戦いでした。


日本軍ばかりを、無力、無能、悲惨、惨めと描くのは、反戦映画としては成り立ちません。

史実とかけ離れたフィクションなので、戦争映画としても成り立たない。


日米両兵士の苦闘、苦悩を描き出せば、まだ成り立ちました。


非常に残念な映画です。

次作があっても、見る価値はないと断言します。

先日は、NHKカルチャーのオンライン講座で、長岡京・大山崎・亀岡の地域について学びました。

講師は観光ガイドの吉村晋弥さんです。


明智光秀、長岡京、早良親王、日蓮宗、禁門の変、打出と小槌、etc...

点で知っていた事柄が、土地と結びついて線になる感覚。


興味深く、初めて知ることてんこ盛りでした。 機会があれば巡ってみたいです。
特に歴史を深堀したいので、受講後も色々と検索したり調べたりしました。 まだまだ奥が深いです。