表現とは何か。
表象とは何か。
わかりません。
『いのっちの手紙』を読んでいて、後半に…
作家、アニメ作家が、すぐれた表現をするウンヌンとゆう話題が出てくる。
その、表現とは?
まあ、言葉(の連なり)、映像(の連なり)ではある。
それくらいは、わかる。
発語。発話。
映像。絵画。
身体によるパフォーマンスなり、表情だって、表現ではある。
そこで、言葉の意味をめぐって、誤解から…
イサカイ、けんかになるのも、よくあるコト。
言葉の意味も、概念も、変化する。
かんたんに変化する。
変化するのが、自然。
だが、自然(ネイチャー)のなかに、言葉はない。
誰かが言葉を作った。
自然も、言葉も変化する。
言葉のカタチは、そうかんたんに変化しない、そう養老孟司さんは言ってましたけども。
意味は変化する。
そのへんの、難解さが、わたしをもってして…
表現ってなんじゃい???
となるワケなのだった。
①
ほんの思いつきから提案した往復書簡、はじまってしまいました。これからしばらく は、僕からの質問攻めみたいになるかもしれませんが、よろしくお願いします。 とにか く僕は今、坂口恭平の実践、創造、そして方法に、はなはだしく興味津々なのです。
↑の言葉から、『いのっちの手紙』はスタートする。
坂口恭平の哲学、かんがえ、世界観。
人生。
つまりは、表現、創作の影にかくれた秘密を…
斎藤環が聞き出す趣向。
わたしは思いましたね。
表現とは何か?
それ、さっきも書いたたろ。
わからない、って書いたよね!
では、こうしよう。
概念とは何かな?
コンセプトだ、とドゥルーズは言ったかもしれない。
言ってないかもしれない。
わたしは、ドゥルーズの本をほとんど読んだコトがないのです。
そんなコトは、ど~でもいいじゃないか!
そう言えば、「ふざけるな」と叱られるでしょう。
わたしなら、叱ります。
「ふざけるな! ヲレ!」
概念とは、意味のある言葉だとゆうのが、わたしのかんがえです。
そして、言葉=概念とは、決めつけであり、単純化といえます。
そんな単純な、言葉が。
変化する自然=現実に、ピタッと対応できるかといえば、疑問ですな。
言葉は、複雑な現実に、なかなか対応しきれない。
だからこそ、繊細な表現をする、小説家やエッセイストは、「あんた、すごいよ」と尊敬されもする。
②
恥ずかしさ。
「僕には恥ずかしさ、というものが皆無ですからね」
と、236ページにあるが。
この言葉こそが、坂口恭平の秘密をあかしていると、わたしには思えた。
恥ずかしさがない、つまり恐怖感がない、とゆうコトではないでしょうか。
いわば、勇気がある。
だから、行動的とゆう。
さらに
「何事も怖いのではなく、めんどくさかったんですね。そのことには気づきました。 めんどくさいということを抜けていくと、色々面白いことが広がっていきます。 僕も昔 は相当のめんどくさがりでした」
ともあります(227ページ)
めんどくささ、を克服して、創造を継続する。
それが坂口恭平の方法だったのです。
勉強になりました!
③
ゴダールに関する発言に、こんなものがありました。
僕はゴダールの映画はほとんどみ たことがないし、あんまり興味がないのですが、ゴダールの発言がとにかく大好きです。 このように、ある芸術家の別の側面だけが異常に好き、ということは時々あるような気 がします。作品自体はほとんど知らないのに、考え方が大好きな人が多いです。 押井守 監督もそうです。 押井守監督の、ストーリーとか登場人物とかはどうでも良くて(後略)
『ゴダール / 映画史』とゆう本があるが、わたし・一円きびとも、あの本が好きだった。
もう1度、読みたくなった。
いま手元にないけども。
ゴダールの映画。
その特徴を、かんたんに言えば…
(アメリカ映画のような)サービスはしないぜ
とゆう感じになる。
もちろん、無サービスではない。
ヨーロッパの流れの、アート。
映像と音響の、アート。
余談になるが、この30年ほどのゴダール作品は、退屈だと感じる。
ダメ、とも言いきれないが…
かつての、おもしろさが、なぜか炸裂しない。
不発。
いや、『さらば、愛の言葉よ』は、ひさびさにおもしろかったけども!
かつて。
雑誌の映画評で。
『ゴダールの決別』とは、決別した
と、中原昌也がキッパリと断言してるのを読んだときは…
「おいおい、それはまだ時期尚早よ?」と思ったものでしたが。
中原昌也の判断は、(わたしからすると) 正しかった、そう言えます。
もうひとつ、中原昌也の正しい判断を書けば…
僕だって自民党がすべて駄目とは言いませんよ。でも、安倍晋三(の愚劣さ)は我慢できない!
そう、彼は発言していました。
いまなら、「安倍ちゃんホント、バカで悪質!」と、わたしも理解しましたが…
当時 (何年前かは忘れました) は、わかってなかったのです。
中原昌也は、鋭い。
わたしは… 文学がほとんど理解できないので、中原昌也の小説は、少ししか読んでません。
ですが、映画評論家としての彼の活動は、もちろん好きで、毎年やる…
アテネフランセ文化センターにおける、中原昌也祭りは、楽しみにしているのです。
その中原昌也に対して。
坂口恭平は、「僕がお金を出すから、映画監督をやってほしい」、そう言ったと、本書にあります(199ページ)
これには、興奮しました。
ちょっと、どうゆう映画ができるのか想像できないのですが…
中原昌也が映画を撮るのは、事件といえます。
世の中、なにが起こるかわからない。
坂口恭平も、中原昌也も…
自己流、インディペンデントで生きてきた…
そのー、社会、世の中の「命令」「支配」「洗脳」に、つきあわなかった人たちです。
この、ふたりの友情には感じるものがありました。
以上。