横浜に引っ越して来る前に。
わたし・一円きびとが住んでいたのは、世田谷区、赤堤(あかつつみ)であった。
そして。その…
赤堤で、生まれ育ったのが。
坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)、その人である。
坪内祐三さんは、(主に文芸)評論家である。
さまざまな文章、本を書いているのだったが…
生まれ育った町、赤堤や経堂のコトもたくさん書いていたので。
わたしは、それを「おもしろいなー」といって読んでいたのだ。
近藤書店が… オーゼキが… とゆうような、赤堤ローカルな話題。
もちろん、それだけではなく。
文学やら、日常やら、思想やらの… 文章を、楽しく読んでいた。
が。
実は、わたし・一円きびとは。
遅れてきた坪内祐三ファンだったのだ。
その点でゆうと。
あくまで、わたしにとってなのだが… 曽我部恵一さんに似ていた。
曽我部恵一さんも。
いまから、25年以上前から活動しているのだが。
わたしは、つい最近、曽我部ファンになったのである。
そのキッカケはといえば。
曽我部さんが、わたしの好きなアーティストを、好きだな、と推していたのを知ったコトであった。
坪内祐三さんも、それに近いトコロがあったかもしれない。
いや。
よくおぼえていないのだが。
わたしが、坪内祐三ファンになったキッカケ。
なんだったっけか。
坪内さんは、「遅れてきた東映ファン」と称していたのだ。
わたしもまた、遅れてきた東映ファンだったので、親近感があった。
ちなみに、坪内さんは、わたし・一円きびとより、10年早く生まれている。
1958年、5月8日生まれ。
さらに、東映といえば… 杉作J太郎とゆうコトで。
杉作さんの書いた東映本といえる、『ボンクラ映画魂』。
それだけでなく、杉作さんの文筆家としての才能を… 坪内さんは絶賛していた。
そんな評論家が、ほかにいたか????
いないよ。
わたし・一円きびとは、思わず…
杉作さんのラジオ番組にメールを送ってしまった。
そして、そのメールを読んでくれた… 杉作さん(とアシスタントの清原さん)に感謝します。
グッバイ、坪内さん。
いつか、また会いましょう。
杉作さん、こんばんは。
坪内祐三さんが、お亡くなりになったそうです。
とても残念で、さびしいです。
その昔。
三軒茶屋で、杉作さんも… 坪内さんとよくすれちがったりしたのではないでしょうか。
「遅れてきた東映ファン」と称していた、坪内さん。
杉作さんのコトも、「フランスの哲学者のようだ」と、評価されていた坪内さん。
内藤誠監督による、映画『酒中日記』を、わたしは見逃しております。
そんな、いい加減な坪内ファンではありますが、まだまだ、もっともっと、坪内さんのいろいろなハナシ、さまざまな文章が読みたかった。そう思っていたので、悲しい気持ちになっております。
つい、さきほども。
コンビニで、『サンデー毎日』に連載されているコラムの…
相撲についての、坪内さんの文章を読んだばかりでした。
ほんとうに、残念です。
さよなら、坪内さん。