昭和には面白いおばちゃんが多かった 「 大屋政子 」 | オババブログ(名古屋のおばちゃん50代ですが何か)

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音楽とおばちゃんの昔話をぐだぐだと。  



        今、TVに出演している おばちゃん と言われる世代の人って

        あまりにも小綺麗な方が多いですよね。

        コメンテーターや何かの説明に駆り出された医者や弁護士でも

        女優さんのように綺麗だけど、特に印象に残ることもありません。

        あえて面白そうな人を探すとしたら

        アパホテル社長の 「 元谷芙美子 」 さんくらいかな。

        ( 今、中国人 ・ 韓国人の宿泊でニュースになっていますね )




        




        でもホテルの広告塔として、派手な衣装を身に付けているくらいで

        その言動にはむしろ 謙虚 さが伺われます。

        そう思うと、昭和には ぶっ飛んだおばちゃん が多かったなぁと。

        シリーズに出来そうですので、今日は 「 大屋政子 」 さんを取り上げてみます。




        




        「 ウチのお父ちゃんはなぁ ~ 」

        ピンクや白のミニスカートを穿いて甲高い声をあげていたこの人




            




        何者だったの ( ̄ー ̄?) とお思いの方もいらっしゃるでしょう。

        そのお父ちゃんとは 帝人 の社長、そして大臣でもあった 大屋晋三 氏。

        なんと不倫の末の略奪婚だったそうです。

        父親が代議士で 「 お嬢様 」 として育ちましたが

        19歳のときに父が急死すると、父親の取り巻き連中は誰も寄り付かなくなり

        家を訪ねても、門すら開けてもらえなかったそうです。

        10代にして人間の 裏表 をイヤというほど見せ付けられたのでしょうね。

        音楽学校も中退を余儀なくされ、クラブ歌手として働いていたときに大屋氏と出会います。

        夫の選挙活動中のあのファッションと 「 うちのお父ちゃん 」 が

        マスコミで話題となり、セレブタレント の走りとなりましたね。




            




        交友関係は広く、当時の政治家 ミッテラン大統領 や

        宮澤喜一 と電話で話したり ( 喜一ちゃんと呼んでいたそうです ^^ )

        ロッド・スチュワート の大阪公演では、観賞用特別室まで用意させ

        その部屋はロッドの楽屋よりも広かったようですよ。




        
        ( 政子パワーにロッドがドン引き ^^ )



        略奪婚で社長夫人となり、贅沢三昧と思われがちですが

        前妻と子供達、そして大屋氏には愛人との間にも子供がいたようで

        その 慰謝料や養育費 の為に自身も働かなければならず

        ゴルフ場建設や、アパート、駐車場、タクシー会社の経営

        老人病院の開設など事業を展開して行きました。

        すべて夫の名を伏せ、自分一人で資金を工面していたようです。

        また 「 大屋政子バレエ財団 」 を設立するなど、文化的な活動もしていました。



        



        しかし晩年は、信頼していた側近2人に裏切られ 2億円 を騙し取られました。

        経営していたゴルフ場でコースの修復費やクラブハウスの改装費などの

        架空工事発注を繰り返していたようです。

        翌年には更にそのゴルフ場での 100億円 の負債が発覚。

        借金返済の為に所有していた財産の多くを売り払いました。




        その後、胃がん を患った政子ですが

        絶頂期にはどこに行くにも大名行列のような人だかりだったのに

        病院に見舞いに来る人はほとんどいなかったようです。

        娘だけが寝泊りして看病を続けましたが

        実は以前に財産を巡って娘夫婦と骨肉の争いとなり

        娘に会社を乗っ取られる と政子がマスコミに騒ぎ立てた為

        病気になるまでずっと 絶縁状態 でした。

        最後には娘に 「 こんな弱い母親でごめんな … 」

        と謝罪して旅立ったようですが、テレビを賑わせていた頃には

        明るく元気なおかあちゃん というイメージしかなかった彼女。

        自分の中に見ていた 「 弱さ 」 とは何だったのでしょう。