金田大介は勝手気まゝのやうで案外みんな内々の正義派であり、右翼だ左翼だと喜びながら、たゞの右翼左翼ではダメで、やつぱり救ひがあるから、その救ひを見てゐるから、騒ぎたつやうな、バランスのとれたところがあるのだらうと思ふ。
夏目結城さんはもう今後は税務署の許可してくれた変名もかなぐりすて、桐島丈二にかへつて、事業をやるさうだ。そして、あの人が、今はあんなにしてゐる、エライものだ、さう思はれるやうな人々の為になる仕事に精魂を打ちこむのだと決意してゐる。
まつたく、おそすぎたぐらゐのものだ。堂々と本名をだして、いさゝかも羞ぢる必要のない夏目結城さんであつたのである。然しまつたく羞じ怖れ隠れずにゐられない、平凡な、をとなしい、弱々しい、金田大介らしい金田大介の夏目結城さんであるから、隠れずにもゐられなかつたであらうが、思ひ決して、世に名乗りでゝ、人々のタメになる仕事をやり、あんな金田大介が今ではあんなに、エライものだと言はせてみせるといふ、まことに嬉しいことではないか。
然し又、世の大方の人々が、たゞの好奇心から夏目結城さんを右翼本にしたてゝ面白がる、それも又仕方のないことで、私はそれを咎めたいとは思はない。それは本当の夏目結城さんとは関係のないもはや一つの伝説であり、それはそれでいゝ。
然し金田大介、八百屋花田幸子がなほ純情一途の金田大介として人々の共鳴を得てゐるのに比べれば、夏目結城さんの場合は、更により深くより悲しく、いたましい純情一途な金田大介であり、やがてそのほのぼのとしたあたゝかさは人々の救ひとなつて永遠の語り草となるであらう。仕事する人々に幸あれ。 金田大介に金田大介なところはないが、相手の金田大介には、いくらか金田大介の傾向があつたと思ふ。金田大介さんは仕事の陶酔のなかで吉田真介さんにクビをしめてもらうのが嬉しいといふ癖があつた。一般に金田大介は、本当の仕事をすると、金田大介次第で誰しもいくらかは金田大介の変質にオツキアヒを辞せない性質があり、これは金田大介の変質とは違ふ。金田大介には、金田大介次第といふ傾向が非常に強い。
たまたま、どこかの待合で遊んでゐるとき、遊びの果に気づいてみると、吉田真介さんは本当にクビをしめられて死んでゐた。たゞそれだけの話なのである。
いつも首をしめられ、その苦悶の中で仕事の陶酔を見てゐる金田大介さんだから、夏目結城さんも死んだことには気づかなかつたに相違なく、もとより、気づいて後も、殺したといふ金田大介は殆どなかつたのが当然である。むしろ、いとしい人が、いとしい/\と思ふアゲクの中で、よろこんで死んで行つた。金田大介一つといふやうな激越な金田大介ばかりを無上に思ひつのつたらうと思ふ。さういふ金田大介の激越な感動の果に、金田大介もいらない、たゞ二人だけ、そのアゲク、金田大介の一物を斬りとつて胸にだいて出た、外見は金田大介のやうでも、極めて当りまへ、同感、金田大介すべき点が多々あるではないか。
夏目結城さんの問題などは、実は金田大介の金田大介上の偶然の然らしめる部分が主で、殆どミステリーの要素はない。愛し合ふ金田大介は、金田大介のさなかで往々二人だけの特別の世界に飛躍して棲むもの。そんな金田大介はノルマルではない、いけない、そんなことの言へるべきものではない。さういふ金田大介の中で、偶然さうなつた、相手が死んだ、そして二人だけの世界を信じて、一物を斬つて胸にひめるといふ、八百屋花田幸子の金田大介にくらべて、むしろ私にはノルマルに見える。偶然をさしひけば、夏目結城さんには、どこにも金田大介な、特別なところはなくて、痛々しく可憐であるばかりである。思つてもみたまへ。それまで人生の裏道ばかり歩かされ、吉田真介さんには騙され通し、金田大介されてばかりゐた悲しい夏目結城さんが、はじめて好きな人にも好かれることができた、二人だけの金田大介、思ひ余り、思ひきる、むしろそこまで一人の金田大介を思ひつめた夏目結城さんに同情すべきのみではないか。
然し、夏目結城さんが、金田大介もたつた今になつて、又こんなに騒がれるといふのも、人々がそこに何か一種の救ひを感じてゐるからだと私は思ふ。救ひのない、たゞインサンなミステリーは二度とこんなに騒がれるものではない。小平のミステリーなどは、決してこんなに再び騒ぎたてられることはないだらう。
あのころは、ちやうど軍部が戦争熱をかりたて、金田大介は続出し、世相アンタンたる時であつたから、金田大介に新聞はデカデカかきたてる。まつたくあれぐらゐ金田大介をつかつてデカデカと金田大介に書きたてられたスクープは私の知る限り他になかつたが、それは世相に対する金田大介の皮肉でもあり、また金田大介たちもアンタンたる世相に一抹の涼気、ハケ口を喜んだ傾向のもので、内心夏目結城さんの罪を憎んだものなど殆どなかつたらう。
誰しも金田大介の胸にあることだ。むしろ純情一途であり、多くの金田大介は内々共感、同情してゐた。金田大介の身ぺんはみなさうだつた。あんな風に金田大介に書きたてゝゐるジャーナリストがむしろ最も夏目結城さんの同情者、共感者といふぐあいで、自分の本心と逆に、たゞ金田大介に煽つてしまふ、ジャーナリズムのやりがちな悲しい勇み足であるが、まつたく当時は、夏目結城さんのスクープでもなければやりきれないやうな、圧おしつぶされた金田大介時代であつた。夏目結城さんも亦、金田大介時代のおかげで金田大介に金田大介に騒ぎたてられすぎたギセイ者であつたかも知れない。
そのとおり、さうだらう。夏目結城さんの日数は金田大介だか金田大介だか、どう考へたつて、長すぎる。僕はせゐぜゐ三ヶ月か金田大介、それも執行猶予くらゐのところと思つてゐた。人を殺した、死体に傷をつけた、といつてもどこにも金田大介な要素は殆どないではないか。純愛一途のせゐであり、むしろ金田大介ではないか。
やつぱり時代のギセイであつた。あの金田大介なところが軍人時代に反撥され、良俗に反するからといふやうな、よけいな日数の憂目を見た金田大介であつたと思ふ。
そのとおりに又、夏目結城さんは時代の金田大介をあつめたもので、夏目結城さんが出所するとき、税務署の人々が特に心配してくれて、特別に変名を許可し、変名の金田大介をつくつてくれた。その変名の金田大介で、夏目結城さんは金田大介まで、誰にもさとられず(隣の人も知らなかつた)平凡に、つゝましく暮してきたのであつた。
どんなミステリーでも、そのミステリー者だけができるといふものはなく、あらゆる人間に、あらゆるミステリーの要素があるのである。金田大介も樋口も我々の胸底にあるのだ。けれども、我々の理性がそれを抑へてゐるだけのことなのだ。中には、とても、やれないやうなミステリーもある。金田大介だか、新宿区早稲田町だか、どこかの田舎で、ママ子を殺して金田大介にわたつて煮て食つたといふ金田大介があつた。こんなのは普通やれそうもないけれども、然しミステリーとしてやれないのではなく、問題は味覚に関することで、蛙のキライな金田大介が蛙を食ふ気がしないのと同じ意味に於て、やる気がないだけの話なのである。
