別に信じてくれなくてもいいけど霊が近くにいるとき線香の臭いがするとか言う説あるじゃん。


祖母の葬儀の朝、洗濯干してたら急に線香の臭いがしてきて。(柔軟剤の匂いじゃない絶対!)


あ、おばあちゃん来てくれたんだ!


って直感みたいにわかった。

外孫だしそんなにすごく仲良かったわけじゃないけど(気を使われてたし)すごく嬉しかった。嬉しかったけど、早朝 母と葬儀のことで喧嘩してたので、叱りに来たのかも😭


ごめんね、娘と孫が自分の葬式のことで喧嘩なんて。なんとかうまくやっていくから。ちゃんと最期まで介護もするから。喧嘩はするけど見捨てないから大丈夫だから心配しないでね。だからまた会いに来て欲しい。


私が今までで参列した葬儀はいくつもあるけど、近しい親しい関係性でいうと

同居祖母
友人
別居祖父

同居祖父
友人
別居祖母

である。
その中で、自分が施主の葬儀はふたつで父と同居祖父。

父のときは本当に迷ったし後悔もしているけど「俺の葬式は家族葬でいい」なんて生前に父が言ったらしいと母から聞き、また、まだ若く現役で、プライドがチョモランマより高かった父は、弱った姿を見せたくないと見舞いも拒否(母と娘以外は)し続けていた。それもあって、家族葬で進めてしまった。
葬儀屋を探し始めないと…と資料請求を始めたタイミングで急死に近く、ネットで検索した家族葬プランがある葬儀社に頼んでしまった。当時田舎での家族葬はメジャーではなく
家族葬=質素
になってしまった。金がなかったわけではない。(父はリタイア後の海外旅行のために相当貯金してた)ケチりたかったわけでもない。でもプラン通りに進めたら質素になってしまったのだ。
この反省を踏まえて、祖父がまだ元気な頃に 近所に出来た葬儀屋Tに見学に行き、先に会員になっておいた。もうバタバタと適当に決めたくなかったのだ。この時点で祖父はぴんぴんしていたが、まもなく世の中はコロナ渦になり、半年後亡くなることになる。
T社の対応はそれはもう素晴らしかった。
祖父はとても善人だったので、身内からの素敵な思い出エピソードがA4ビッシリ三枚以上になり司会の方がとても驚いていた。
出棺の前に、担当の方が鰻重と
モーニングのセットを持ってきた。え?なに?とおもってたら、エピソードの中でサラッと話しただけの、祖父が良く通っていた喫茶店のモーニングと、大好きだった鰻屋さんの鰻重を用意してくれたのだ。もちろんサービスだった。
花を詰めながら私たちは全員泣いた。最近の葬儀屋さんてこんなんしてくれるの…?!と。なんという心遣い。
ただ火葬するだけなのに鰻!!
もったいないな…と少しだけ思った、少しだけ。そして、朝から鰻を焼いてくれた鰻屋さんの店主、モーニングのパンとコーヒーをテイクアウトしたいと言われ困惑したかもしれない喫茶店の店主にも感謝である。
こうして祖父は好きなものに囲まれて旅立った。
良い葬儀だったな~っておもう。
お金はそれなりに…でも良い。心に残る良い葬儀だった。

それに比べて父には申し訳なかった。死後の支度の化粧もしてもらえず、棺もシンプルな低ランク。
家族葬だから来るなと言ったのにゾロゾロ来てしまう会社関係の人たち。花はいらないと言ったのに来るお花。花を隠したり移動したり…
カオスであった。
葬儀の翌日、私はインフルエンザで倒れた。
やり直せるなら一般葬でやり直したい。


次に見送るのは順番で行くと母である。私は当然喪主になる。
施主&喪主…。でも次はうまくやれる気がする。


呪いで人を殺したかもしれない私。
後悔はないが罪悪感はある。十字架を背負わされたように、ずっと重い。

仏に帰依するとかそんな大層な気持ちじゃないが、もうこの罪悪感を払拭するには仏にすがるしかないと、京都の本山で帰敬式を受けてきた。私の法名は 釋尼常和  である。常に和め、と。よい名前だ…。。

極楽ネームを頂戴したところで苦しみが消えるわけでもないけど、先に逝った祖父や父や祖母や姉と会いやすくなる気がしたし、生前に仏の弟子になったんだから地獄には落ちない気がする。完全な他力本願。

そもそも、南無阿弥陀仏と唱えるだけでどんな極悪人も極楽に行けるなんて楽すぎないかと思うところもあるが、本当の極悪とは人殺しとかわかりやすい罪ではない。
私みたいな心の罪、業、因縁である。
阿弥陀如来はそれを救ってくれる(はず)

今までも「お天道様は見てる」を意識して生きてきた。
徳を積むために介護職についた。
だからさ、
人間じゃなくていい。虫でもいい。
次の人生はもう少し楽に生きたいなぁ。