ただ そこにいて



話を聴いてくれる人がいたら



何も話さずとも

側にいてくれる人がいたら




あの頃の私は



湧いてくる感情をそのまま



受け止めることができたのかな?







不安な気持ちは そのままに



不安と一緒に過ごすことが

できたかもしれない




不安な私も ひっくるめて

これも私



不安な気持ちがあることを


受け入れるとか


意識にものぼらない そんな感覚を


自然に育めたのではないか





そもそも


そんなことを考えるに至ったのは



3年ほど前だったか

あるワークに取り組んだことが

キッカケだった




それは

無意識レベルで 

生きづらさの原因となっている過去の感情と対面し

それによって築いた概念の捉え直しをするワーク



今の私が過去の傷ついている私に会いにいく

そこから始まるワークだった





幼い頃の不安な気持ちでいっぱいの私に

今の私が 声を掛け 安心させてあげる



とにかく

その小さな私が

微笑むなら 

少しでもラクになれる言葉なら

なんでも いい というものだった





さぁ

大人になって 

たくさんの経験をしてきた今のあなたは

小さなあなたに どんな声をかけますか?






その小さな私が 

ホッとする様な

笑顔になる様な

言葉はずっと見つからないままだった




どんな言葉も 


小さな私には 響かなかった


心が固まって

どうにも顔を上げられない



そんな様子だった





うつむいたままの私にとって


どこからか 聴こえてくる


正義や正論が 


私の道標だった





間違いだらけの私は

もう間違えてはいけなかったのだ



私は悪い子だから








ただ そこにいて



話を聴いてくれる人がいたら



何も話さずとも

側にいてくれる人がいたら




あの頃の私は



湧いてくる感情をそのままに


受け止めることができたのかもしれない





ただ 

そばにいてくれる人



ただ

そこにいる人




あいさつを交わすくらいの距離感の人





そんな存在がいたら



もしかしたら 

私は顔をあげることができたかもしれない




そこに

小さな私は何を求めているか…





それは



私という存在の許可



だったのではないか



『あなたは 

 傷ついてるあなたのままでいい』




『あなたは 傷ついていい』




『傷付いているあなたのまま

 そこにいていい』




『間違えたままの あなたでいい』






私は 傷ついてる私じゃ嫌だった


私は 不安なままじゃ嫌だった


間違えてばかりいる私じゃ ダメだった






あのワークに取り組んだころ


私は 幼い頃に


相当 傷ついていることも


悲しんでいることも


わかってるつもりだった




でも

どうにも 

小さな私がホッとする様な言葉見つからなかった





そして 最近 こんな風に思う様になった




ただ そこにいて



話を聴いてくれる人がいたら



何も話さずとも

側にいてくれる人がいたら




あの頃の私は



湧いてくる感情をそのまま



受け止めることができたのかな?




話したいことがあれば どうぞ



アドバイスも何もしないけれど



私は あなたのそばにいるね




もし あなたが 弱っていたら

コレだけは 伝えたいよ



『あなたは 

 傷ついてるあなたのままでいい』




『あなたは 傷ついていい』




『傷付いてるあなたのまま

 そこにいていい』




『間違えたままの あなたでいい』




いつの日か 話したくなったら


あなたの心を聴かせてね


私は ずっと そばにいるよ


本当は お母さんに聴いて欲しかったこと


知ってるよ




お母さんの代わりには なれないけど


せめて


私は あなたのそばにいるよ