漢字
その利点。
漢字は、漢氏族が物を写した略画や事物を示す符号から発達させて中国語を表すようになった表意文字である。我が国に伝わったのは、応神天皇の16年(西暦285年)といわれているが、当時文字をもたなかった我が国の人々は、早くから習熟し、その後は年を経るに普及し、現代に至るまで欠くことのできない表記の手段となっている。
佐藤 栄氏はそう書かれているが、年代は果たしてそうであろうか。
夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国と為る。歳時を以って来たり献見すと云う
「漢書地理志」紀元前一世紀ごろ
建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国(わのなこく) 奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口(奴隷のこと)百六十人を献じ、請見を願ふ。桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更ごも相攻伐し、歴年主なし。
後漢初代皇帝、光武帝(在位25~57年)にあてたものか。奴隷を土産として160人連れていった。なので天子にお目通り願いたい、とのことだろう。安帝は6代皇帝。
「後漢書東夷伝」
その後、後漢末(西暦205年)ごろ、魏志倭人伝に邪馬台国と卑弥呼が登場する。
弥生時代の中期・後期には複合大家族制から族長のような人が登場してくるから、福岡県の須玖遺跡から共同墓地とみられるものが発掘されている。
また、三国志に登場する蜀と魏の時代か、赤壁の戦いでの大量の舟が登場する。造船技術の進歩した当時の中国の人々から、言語・文字の教えを受けていないだろうか。
紙の発明される前には、竹の木簡に字が書かれていた。
日本人の先祖は、以外と文字の習得も早かったかもしれない。