お詫びと感謝
私があとから反省している、お登りさんがギャラリーでやってはいけないマナー違反をここで紹介しておきます。
其の一、数奇なご縁のあるご婦人と奇遇な出会いに感激して、自分以外の作家さんの展示ギャラリーの入り口で名刺など住所を交換し、案内状をお送りする約束をする。
これは、作家さんに敬意を払い、ギャラリーの外に一旦に出てから行うべきでした。
其の二、自分以外のしかもリスペクトする作家さんの展示ギャラリーにて、鑑賞者同士で「追っかけなんです。ファンです。」と言っていただけたことに舞い上がり、手を取り合って喜ぶあきれた反応は、まさにお登りさんでした。
ならびに、こんな私めに勿体ないお言葉をかけてくださった方にはもちろんのこと、大らかに穏やかに温かく見守ってくださった彼のリスペクト作家さまには、感謝申し上げるとともに、配慮に欠けたことへのお詫びの気持ちでいっぱいです。
ほんとうにほんとうに、ありがとうごさいました。
そのときは目一杯で配慮不足に気がつきませんでしたが、以後は気をつけたいと深く反省している次第です。
大作キャンバスをつなぐ
ご無沙汰いたしました。
みなさんいかがおすごしでしょうか。
これでも制作していますよ~。
眼に負担がかからないように更新を控えています。
搬入間近かの9月9日、家から搬出の3日前のことですが、F120号とP120号を結合しました。
冬にF60号2枚を繋いでF120号に。
田植えが終わってから夏にF50号とF30号プラス高さ合わせに補足の板でツギハキではありますが、P120号になりました。
これで古キャンバスが片づき、6畳の画室もスッキリです。
ただし、つなぎ目は描きづらいです。
諸事情で稲刈りの合間の今頃になってしまいましたが、画室から出せなくなるので、玄関でつないで描き足しました。
いくつもクランプでギュッとしめましたが、ネジで止めてクランプを外すと隙間ができてしまいました。
やり直してみてもどうしても緩みます。
隙間が邪魔なので、あきらめて木工パテとモデリングペーストなどで塞いで色を合わせた次第です。
全体を見ながら描きたいところ、あまりお勧めではありませんが致し方ない事情もあります。
無理なく楽しんで思考、造形、制作するのがいいと思います。
http://www2.ucatv.ne.jp/~itiyokai.snow/
第62回一陽展が国立新美術館で2016年9月28日(水)から開催されます。
こちらで発表となります。
こちらにも出品中です。
ガラス美術館にて、9月22日(木)まで。
明日までになりましたが、報告が遅れまして申し訳ありません。
天候が不順ですから、風邪を召されないようお身体を冷やさないでおすごしください。
クロムクロ
TVアニメ「クロムクロ」
P.A.WORKS
黒部ダム が舞台になっているそうです。
ゴジラシリーズでもこの大自然の中の壮大な人工物が舞台になりましたが。
放送情報は、http://kuromukuro.com/onair.html 。
守護神を研究中
アートの解釈も和歌の解釈は人さまざまで、どれがいいとか高い低いなく、鑑賞した人が共感し、自分の心を代弁するものとして自由でいいのだと思います。
あのゴジラも、人間が幸せになるための文明の負が生み出した闇の部分、アンチヒーロー。
という解釈もあれば、人間の味方、子どもたちの友だちとされたこともあります。
修行中のお坊さんの和歌ですが、恋人を思って詠まれたものという説もありますが、仏への憧れ、無心の境地に達することの難しさ、を詠ったのだろうなという解釈もあります。
その解釈はご自身のものです。
「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」は前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)の和歌です。
行尊さんの修行をしているお寺は神仏融合の教えでした。
ところが、自分たちの考えの正当性を主張する僧兵がこの寺を焼き討ちにしたのだそうです。
お寺を失ったお坊さんたちは、怒りにまかせて報復などせずに、静かに托鉢に出られたのだそうです。
そんなときに自分の正しさを主張せず、誰も見にこないような山の中に生き生きと咲いている山桜の生命力に心打たれたのを詠われたものなのだそうです。
西行法師もこう云われたのだとか。
「西行法師常に来りて言はく、
『我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。
花、ほととぎす
、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。
また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。
花を詠むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。
ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。
紅虹
たなびけば虚空色どれるに似たり。
白日かがやけば虚空明かなるに似たり。
しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。
また、色どれるにもあらず。
我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。
この歌即ち是れ如来の真の形体なり。』
と云々」(『明恵上人伝記』)