こんにちは。mamiです。


 すっかりご無沙汰になってしまったブログですガーン

元々飽きっぽい性格というのもあるのですが無気力

今回は、どうにもこうにも立ち直る(?)までに時間が必要でした時計




今年の5月に、長い闘病生活を送っていた父が亡くなりました。




父は22年前に突然倒れ、医師の方には「もう厳しい」とまで言われたのですが、奇跡的に一命を取り止め意識が戻ったのです。

しかし、広範囲での脳内出血だったため、半身不随、言語障害となってしまい、晩年は寝たきりで周りの方々にたくさん支えてもらいながらの生活でした。



なので、私の人生の半分以上は障害者となった父が【私のお父さん】でした。


私は、「元気だった頃のお父さん」も、「寝たきりで会話ができないお父さん」もとっても大好きで、大切な存在で、元々お父さん子だったのもあり、いつまでも親離れできない娘だったかもしれません。




どっちのお父さんも大好きだけど、いつも心の奥底では【お父さんに奇跡が起きて話せるようになるかもしれない。】【もしかしたら、また少しずつ歩ける事もあるかもしれない】と、ほんの微かな希望を抱き、願いながら過ごしていました。


私がこのブログを始める原動力となったのも、【父に奇跡は起こる!】と強く思っていたからかもしれません。


だけど、私が思い描いた奇跡は起こらないまま、父は旅立ってしまいました。


あくまでも、「私が思い描いた通りの奇跡は起こらなかった」だけで、思い返せば【本当はたくさんの奇跡が起きていた】んだな、、と父が亡くなってから気付く事ばかりで、「お父さん、今頃になって気付いてごめんね。」が溢れてくる日々です。


当たり前に思っていた事、いつもの日常、リハビリや入浴介助の曜日、何度も誰かを呼ぶ父の声、片方の手で器用に飲み物を飲みコップを置く音、部屋の電気を消すリモコンの音、、、



今では聞きたくても聞こえてこない生活音、それらすべてが奇跡だったのだ、どんなに恋しくてももう戻って来ないのだと、今になって思う事ばかりです。



 

 まだ父が亡くなってから半年とちょっと。もう半年。いつの間にか半年。


何日過ぎても、何週間過ぎても、何ヶ月過ぎてもそんな事を考えてしまいます。


悲しみや寂しさは、きっと消える事はないんだろうな、と思いますが、それでも【たくさんの奇跡の連続を生きている私が、今どう生きるか。どう生きていきたいのか。】そんな事を自問自答しながら生きています。


そして、父の仏壇に手を合わせ、ずっと身体が不自由だった父が今は自由となった姿を思い浮かべて、「今日も楽しく幸せに過ごしてね!」と声をかけるのが日課になりました。




 このブログが読まれる事は少ないかもしれません。誰かの目に留まる事も何らかの奇跡が重なったからだと思います。

顔も名前も声も知らない誰かの目に留まる奇跡に出会えた、私の中の悲しみや寂しさ葛藤を吐き出させてくれた。

それだけで私は今、少しずつ元気がもらえています。ありがとうございます。


読んで下さったあなたが、今を生きているあなたが、「今日を生きていてくれてありがとう。今日も幸せで楽しく過ごせますようにキラキラ

心から願っていますにっこり







読んで下さりありがとうございましたキラキラ

では、またニコニコ