温暖化が問題になっている昨今ですが



地球という存在は


太陽系の中の一つ星

銀河系の中の一つの星

宇宙の中の一つの星

さらに大きな括りの何かの中の一つ


姿、形は違えどこれらを構成するものは

様々な関係を擁し、互いに変化をしながらも
互いの均衡を保つために動いている。



これは地球という括りにおいても同様で

人間の活動によって二酸化炭素が増えるという
この変化にたいして、均衡を図るべく、別の何かが変化しているのだと感じる。


たかだか30年弱の経験しかなくとも

毎日の空気や毎年の四季において全く同じ時は無いことを実感することで

こんな風に感じる事のできる人間の感覚は、単純な様でいて

宇宙の外の括りと同じぐらい複雑で捉えきれない

物なのかも。


排出量や気温変化で捉えるのではなく
五感で捉えれば少しは考え方も違ってくるんじゃないかな?


全ては自然の摂理なるままに。
見えないものがみたくて

見たくないものがみえだして

見ようとしてたものをみないようにして

見えてるものをみないふりして

見えるようになったものがみたくなくなって

見えてたものがさがせなくて

結局はじめから何もみえてはいなくて

これからもみえることはないのか

そこには何もないことの証明


何かが存在している

故に何もないことを理解する


全ての事象の根源となる理論や定理

ルールや仮定を定めることで成り立ってはいるが

そもそもの「無」の証明を記号や理論以外に

定める事はどうゆう事なのか?



目には見えない

耳には聞えない

手で触れることのない

物理や化学でも証明できない

ましてや第6感のような存在でも感じとれない



そんなこの世の「無」は存在するのか?


知らないだけですでにこんな理論は構築されているのかもしれないけど・・・・


日々のふとした瞬間に

思う

こんなんことを記していこう・・・かな。


物事の根源なる「無」

それを知るべく



私的空論考察