なぜか足取りが重い。ここのところの体調悪さのせいなのだろうか?
なだらかな坂道を歩きお寺さんの参道にたどり着くと、僕の前に一人歩いている。
僕と同じように手には花が入ったビニール袋が。ひょっとしてこの人も同じお墓を目指しているのだろうか?
それも間もなくわかるだろう、本堂の前には桜の木、ちらほら咲いてはいるのだが、満開には遠い、墓地の前には大きなイチョウの木、ずいぶん年老いた木。春の芽吹きを待っているのだろうがどんよりした曇り空の下では生気を感じられない。あの日は明るかったのに。
やはり僕の前を歩いている人は同じ墓を目指しているようだ。
前着していたその人に軽く会釈をし声をかけた。
そして短い会話が始まった。
その人は彼のおじさんだと言った。友人でないことは見かけが若いのでわかったと言った(と言っても自分ではそんなことは思っていないのだが)、どんな関係か?僕の名前を尋ねられたが、答えたところでどこの誰かはわからないことは明白だ、どう説明しようか迷ったが名を名乗り知らない人ですとしかいいようがなかった。彼の父親は3年前になくなったことも話してくれた。
花を供えて線香をあげて、お水をあげて、手を合わせ、短い会話は終わった。このあとに用事もあったため先を急いだせいでもあった、何よりも、話をしても僕の知っていることは何もないし、姉貴のことを話してもどういう関係だったのかもわからない。
本堂で手を合わせその後用事を済ませた。
春の彼岸に行かなかったのは、誰かに会いたくなかったからだ。
家の墓にも時々供え物があったりする、誰かはわからないが姉貴の友達なのだろうと思う。それを見て辛いとかは思わないのだが、誰かにバッタリと会ってしまいたいとは思わない。何をどう話したらいいのだろうか?共通の話題のない人とそれを探りながら墓前で話すのはどうも野暮に思えてしまう。
やはり遭難の日に行くべきではなかったのだろうか?それとも縁なのか、今日は縁者と出会ってしまった、わずかな時間であるにもかかわらず。
