今度の大学院の講義で、 “The Art of Loving”
をやります、
で、その予習
まず、第1章 「愛は技術か」
― たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、
愛されるという問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、
どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。

― (愛には学ぶべきことなど何一つない、という考え方の底にある前提は)
愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思い込みである。
愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることは
むずかしい――人びとはそんなふうに考えている。
ふつう恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換することが可能な範囲の「商品」に限られる。
私は「お買い得品」を探す。
相手は、社会的価値という観点から望ましい物でなければなければならないし、
同時にその相手は、私の長所や可能性を、
表にあらわれた部分も隠された部分もひっくるめて見極めたうえで、
私を欲しがっていなければならない。
― 恋に「落ちる」という最初の体験と、 
愛している、愛の中に「とどまっている」という持続的な状態とを、混同している。
たがいに夢中になった状態、頭に血がのぼった状態を、愛の強さの証拠だと思いこむ。
だが、じつはそれは、
それまで二人がどれほど孤独であったかを示しているにすぎないかもしれないのだ。
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― 愛することをやめてしまうことはできない以上、愛の失敗を克服する適切な方法は一つしかない。
失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。
そのための第1歩は、
生きることが技術であるのと同じく、
愛は技術であると知ることである
技術を習得する過程は、 ![]()
1. 理論に精通すること ![]()
2. その習練に励むこと
理論を知って、実際の体験を山ほど積んで、多くの事実を学んで、
そして得られる自分なりの直観、があらゆる技術の習得の本質である。
自分なりの直観を得られた時にこそ、技術をマスターしたと感じられるのは、確かにそうかも。
(でも、またすぐに、難題があらわれたり、マスターしたと思いこんでると失敗しちゃったりするんだけど)
人から、信頼される人を目指すのではなく、
まず人を信頼することが大切、
とよく言われますが、
やっぱり、愛される人になりたい、愛されるにふさわしい相手になりたい、 
そのための努力を惜しみたくないとも思う
そんな私が、
ってやっぱり、 「技術」 なんだって、合点が行くのでしょうか?
約2週間後の授業が楽しみです。
―――― 「第2章 The Theory of Love 」 編に続く予定です 
と、手のひらの生命線の横っちょ 
でも、買ってこようかな
2本目は、
The Bucket List
が、
をしたり、
を見たり、
に登ろうとしたり、



など、
いいなぁ)
