《まえおき》(長い) 

私はパワハラ モラハラにあった事がある。

5年近く前の話だがその時の傷は

昨日の事のように消えることも薄らぐ事も無い。

いじめと同じような感覚と言ったらいいのか。

パワハラモラハラをしてる当人にだけに

傷ついたのではないのだ。 

その時の周りの陰ではその上司の 

悪口を言うくせに当人の前に出ると 

スネ夫化するのだ。

自分さえ的(まと)にされなければいい。

私はそんな人間たちに嫌気が差した。

(今は人に過度に期待をしていたから

傷ついた自分に気づいた)

その上司に喧嘩ごしに大きな声で怒鳴られ 

何も失敗した訳でもない 

自分が言いやすい人にだけパワハラをする。 

同じ事しても怒られる人と怒られない人がいる

みたいな感じと言ったら分かりやすいか。 

その上司にはどう100歩譲ってもおかしいだろ 

という理不尽な仕事の評価を得た。 

その時この職場を去ろうと決意した。 

あの頃の私は理不尽な事に立ち向かってしまった。自分を守る事を忘れていた。 

あの時相手にしなければ良かったのかもしれない。周りのようにスネ夫化すれば 

その上司が何年後かに異動するまで

我慢していたら

今もその職場に居たかもしれない。 

でもそれは辞めた今だからのメンタルでの 

話しだろう。 

辞める時周りの本質もわかった。 

全て辞めなければ分からなかったこと。


そんな私の個人的思いを。


タイトルの本題に入る。 

石丸伸二 という人物がいる。

私はこの方市長だった事は知らなかった。 

都知事選が終わるまで。

東京都知事選の期間。 

私はこの石丸伸二に

パワハラ気質が あるのではないか? 

という引っかかりがあった。

それは私特有の引っかかり。 

キレがいいだけに

くだらない話しなどに

イライラする感じを持っていたから。

イライラしてるとこを観た訳でもないし 

記事で読んだ訳でもない。 

全くのフィルター無しで感じていた事。 

だからこいつもパワハラやろーか

とどこかで敬遠していた。

選挙が終わりなぜか石丸伸二を知りたくなった。 

それは自分の中の本当の目で 

石丸伸二はどうなのか

という事を スッキリ、ハッキリしたかったから。

検索して

変なフィルターのあまりない市長時代の

市のYouTubeを見た。

再生回数がエグかった

(前後逆になっちゃいましたが)

後編

 ↓↓↓



前編

↓↓↓




「冷静に平等に判断する」

 が私のポリシーだ。 

(こう言うと必ずどこが平等なんだよ

っていう奴は読むな に限る)


ここでは〇〇新聞社とのやり取りが

嘘偽りなく見れる。

市長を叩く者(今はまた10倍以上叩かれてるが)

市長に賛同する者 両極いるが 

私的に〇春みたいな新聞社だなと感じた。

一言で言って

「世の中の体裁」

で生きている人だらけだった。

石丸伸二はそこが違った。

でも自己中心的なパワハラにも 

感じる人もいるだろうとも思った。

矛盾してるとかね。

心無くバシバシ捌いているように

感じる人もいるんだろうなとも。

ただパワハラモラハラにあった私は

石丸伸二のやり取りに見られる冷たさは  

心の冷たさではない と感じた。

石丸伸二に見えているのは「善悪」 

あれだこれだのグヤグヤがこの人には無い。

ある程度の人は皆体裁を考え自分の保身に走る。

今だから言えるけど

あのパワハラの時 

私に保身があったなら 

どれだけ傷が深くならずに済んだだろう。

でもあの頃ままの自分であの職場に居たら 

私は鬱になっていただろう。

でも今は 

「そんな理不尽な人とは戦わない選択もある」

 ということを学んだ。 


脱線したが 

この石丸伸二はウザったいかもしれないが 

ダメなものはダメ。 

いいものは良い。

目には目を歯には歯を。

そんな人間なんだと思った。 

「石丸伸二」と呼び捨てにしてる私だが 

石丸伸二がここには辿り着くことは99ない。 


でもこんな人間は必要だ。 

今の、これからの日本には必要。 


この人は簡単に周りに言いくるめられない。 

あのグチャグチャな政界にも 

簡単に染められない人間だと

私は勝手に感じている。 

都知事から首相になってほしい。


アンチが沢山いる。 

支持してる人も沢山いる。 

私の見方も間違っているかもしれない。

でもこの石丸伸二(いつまでも呼び捨て)は

支持者が1人になっても

ぶれることがない人間。


 全て個人の見解よ。




『Anniversary』~この先もずっと~
※見にくいけどラメラメでキラキラです.*・゚ .゚・*