どのドラマを観ようかなって決めるとき、

キャストで決めがちてへぺろ

 

ここには、

わたしの恐れが隠されている。

今期観たのは、

コントが始まる

リコカツ

ドラゴン桜

大豆田とわ子(主にEDを観るため)

 

 

夫は内容重視。

 

キャストで決めるのは、

夫に言わせたら、損している らしくて、

「もっと没入したらいいのに。」 だって。

 

 

いや、

俳優さんのクセが気になって、

話に入り込めないことは、たまにあるけれど、

よくよく考えてみたら、内容も大事にしてるんよ、これでも。

 

ただ、没入って考えると、

(すぐ感情移入しちゃう方なので、没入もしていると思うんだけど、)

“没入して大丈夫”

って分かってから、没入してるのかもしれない。

 

 

 

 

くだらないかもしれないけれど、

何年も、

トラウマのようになっているドラマがあって。

 

未だに弱っているときに思い出すと、

外に出たくなくなったり、吐きそうになったり、無気力になったりする。

 

 

 

あのドラマ以降、

 

・基本わかりやすいハッピーエンド。

・希望を感じる。

・(わたしにとって必要ない)リアリティの追求がない。

 

 

そんなドラマを好んで観るようになった。

初回で違うってなったら、そこでやめる。

 

 

 

中でも、希望を感じたいんだ。

それがないなら、

もうあっさーーーーいドラマの方がいい。

 

 

 

わたしあのとき、

ドラマを、ドラマとして、観れなくなっちゃったんだ。

 

 

あの、

リアリティと絶望感が、わたしの世界のできごとになってしまった。

 

あの感覚がすごく怖いんよ。

 

 

DVに必死で立ち向かえるようになって、

これから明るい未来が待っている、と歩み出したところ、

彼女の存在に依存していた隣人が、

彼女が遠くにいってしまう恐怖から衝動的に罪を犯してしまう。

犯人が分かって、事件が解決しても、

奪われてしまった彼女のこれからの人生を想うと、

やるせない気持ちがずっとあって。

 

 

 

このドラマが原因だって気づくまで、

 

外に出るのがイヤになり、

無気力で、

なぜか涙がでてくる、

 

ヤバイ精神状態が続いてしまった。

(元々、だいぶ病んでいたんだろう)

 

 

それ以降、

わたしの心と体を守るために

ドラマを観るときに、この選択している。

 

 

「自分の選択で、良い方向にいつでも向かえる」

「安心して精一杯生きられる世界がある」

 

そう信じたいんよ。

 

 

 

昨日、

ドラゴン桜を観て改めて思っていた。

 

やっぱり分かりやすいのっていい。(褒めている)