言葉 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。

言葉って普段何気なく発されるもので、深く考えたことなんてほとんどなかった。
次男(敦希)を亡くすまでは。

次男を亡くした後は自分でも訳が分からないくらい、周りの人の言葉に振り回され、傷つき、人間不信になった。
特に、身近な人の配慮のない言葉には本当に本当に傷つき、憎んだ。

今まで生きてきて、些細な言葉にムッとすることはあっても、人間不信になるなんてことはなかったのにな。

それはやっぱり最愛の我が子を亡くしたからなんだと思う。

赤ちゃんだった次男を亡くして、まぁこれでもかってくらい「可哀想」を連発され、「早く次の子を」と言われた。長男までもが可哀想と言われた。

みんなもちろん悪気はないし、私にかける言葉がない中での気を遣っての言葉だと思う。
分かっていても悔しくて悔しくて泣いた。





あれから5年が過ぎ、今では何を言われてもほとんど傷つくことはなくなった。カチンとくることはあるけど、聞き流せるようになった。

だから三男を亡くした後に言葉に振り回されることはあまりなかったけど、やっぱり悔しさは残る。

何も知らない人にそんなこと言われたくない!って強く思う。





日常の中でもいろんな言葉が飛び交う。
人の気持ちも考えずにひどいこと言うなぁ…と思う人もたくさんいる反面、私も気を付けなきゃなって何度も何度も思う。

言っていいこと悪いこと、分かっているようでついつい言葉に出てしまって、後になって「余計なこと言うんじゃなかった」と思うことが本当にたくさんある。

たくさんたくさん傷ついて落ち込んだ分、人に優しい言葉をかけられる人間になりたいとますます思うようになった。

気を付けなきゃいけないことばかりで、まだまだだけど。





話しは戻って、、

「可哀想」は時には凶器にもなる。そのことを知らない人はたくさんいて、簡単に「可哀想」という言葉を使う。

私もいまだによく言われるけど、もし「可哀想」と言われたら、『そんな風にしか思えない心が乏しい人なんだなぁ』と思うようにしている。
もちろん言われても反論はしないけど、返事もしない。
ただ愛想笑いをするだけ。

いくら嫌いな人のことでも、陰でひどい言い方をするような人を見ると、一瞬で「この人無理」「最低な人」って思うようになった。

こんな人にはなりたくない。
私も少しは成長したのかなー。

とにかく言葉には気を付けたいと思う今日この頃。





もうすぐ敦希の誕生日。
6歳かぁ。

来年は小学生。想像することもできない。
私の中ではずっと可愛い赤ちゃんの敦希。