2019/03/14 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


家族から離れ、病院で病と闘う小さな子どもたちがたくさんいる


小さな子どもが一人、家族から離れて頑張っている


私は本当に本当にすごいことだと思う


痛い注射も、痛い治療も、たくさんたくさん頑張って…


なのに…


敦希と三男もだけど


どうしてその頑張りが報われないんやろう


本当に悲しいし、悔しい


「悔しい」という感情は親だからなのかな


敦希と三男が一番悔しかったと思うからこそ…





三男の生前、NICUに入院していた時、2人の赤ちゃんの訃報を聞いた


三男のお隣の小さな小さな赤ちゃん


赤ちゃんが目を開けて手足を動かすたびに、赤ちゃんのお母さんはすごく喜んでた


そのお母さんとは挨拶程度で、直接関わりはなかったけど、訃報を聞いて何とも言えない気持ちになった


もう1人の赤ちゃんは、先が長くないと告げられたようで、夜中もずっと家族の人たちが面会に来ていた


三男が亡くなってからは、NICUで一緒だった子どもさんの訃報を聞いた


みんな、みんな、頑張っていたのに…


赤ちゃんだけじゃない


お母さんもお父さんも家族みんな





病院の世界を知らない人はたくさんいる


私も敦希を出産するまではそうだった


病気を知らない人は私の子どもたちのことを「可哀想」そんな一言で表現する


健康が当たり前だから、病気は可哀想


価値観が変わってからは、そんな人たちとは話をしたくなくなった


子どもをたくさん産んだから上等だとか偉いとか、女の子を産んで正解とか


他人としゃべると、いろんな言葉に違和感を覚えるけど、反論はせず聞き流すだけ


ただひとつだけ言いたいのは、病気だから可哀想だとか、亡くなったから可哀想っていうのは違う


可哀想って言葉を簡単に使う人は苦手





ついつい愚痴になってしまいました。


今、本当に一番願うことは


頑張り抜いた小さな子どもたちや、


三男と同級生であり、三男の目標だった沢山の希望を与えてくれたお友達が、


お母さんとお父さんのそばでずっとずっと一緒に笑顔でいますように