三男が亡くなった時、悔しくて悔しくてたまらなかった。
でも、心筋緻密化障害の最重症である上に極低出生体重児だったことを思うと、三男の症例はどうしようもなかった…と思わざるを得なかったというのも正直な気持ち。
敦希が今の時代に生きていたら助かっていたと思う。それだけ医学は進んでいる。
だから希望だった。
なのに…
あれだけ私が「三男は絶対に大丈夫!」と豪語していたのは何だったのか…
何を根拠にそんなことが言えたのか
現実はとてもとても厳しかった。
体が小さいために限られた治療しか受けられないという想定外の事態。
自分の無力さが本当に虚しい。
小児用の補助人工心臓も承認され、薬の種類も増え、敦希の時は病院や医師によって様々だった小児の心不全治療に対する考え方も変わってきたと聞いた。
でも、三男は成長すらできなかった。
考え方を変えれば、最重症の極低出生体重児にも関わらず約2ヵ月も生きたことが奇跡なのかもしれない。
それでも私は三男の成長を見たかった
笑顔も泣き声も見たかったし聞きたかった
もっともっと抱っこをしたかった。
言えばきりがない。
何で敦希も三男も重度の心不全に陥ってしまったのか
同じ病気でも生きている子どもたちはいる
なのに、何で2人とも亡くさなければいけなかったのか
考えても考えても答えなんか出ないし、答えが分かったとしても一生納得なんてできないんやろな。
三男まで亡くしてしまった私は、すっかり卑屈になってしまい、人との交流は仕事以外はなるべく避けている。
何を聞いても綺麗事にしか聞こえない
自分でも駄目だなぁと分かっていても、なかなか前向きにはなれない。
ブログを始めて早5年。
もともとは心筋緻密化障害の情報を集めるためと、敦希の記録を書くことが目的だった。
今では私が唯一愚痴を吐き出せる場所…
いつまでもいつまでも同じことばかり繰り返し弱音や卑屈を言っている私は昔と何も変わっていない。
変われるのなら変わりたいな。
敦希を亡くしてもずっと耐えて踏ん張って頑張ってきたのに、結果が今。
それでもまた頑張れば、いつか報われる日がくるのかな…
5年前の敦希。おもちゃに興味を持ち始めた頃。
三男がもう少し成長していたら、こんな感じだったのかな?
三男。小さな体でも、心臓が弱くても、よく足を動かしてはタオルを蹴っていた。
2人ともどんな男の子になってたんやろ?
何かの本で、兄弟は生まれる前から「兄弟になろう」と約束して生まれてくるって読んだことがあるけど、私にはしっくりこない話だった…
でも、敦希と三男がずっと一緒に、家族のそばにいてくれたら嬉しいな。