本当に平和だったんです。
昨年8月の記事で、5月にてんかん発作があった事を記しました。
それ以来、一度も起きませんでした。
薬のおかげもありますが、本当にてんかんは乗り越えたんだなと。
7月9日23:59
ムックが霊山へと旅立ちました。
6月初旬だったと思います。
心臓が止まりました。
すぐに復活できましたが、病院に相談すると、心臓の方の病気が進行していて、良くない状態との事で、薬が増えました。
翌々週、再び心臓が止まり、倒れました。
薬が更に増えました。
この頃から、薬の影響でご飯を食べなくなりました。
食べる事が大好きだった子なので、とにかくいたたまれなくて。
犬用の牛乳や、介護兼用の食事を試したら飲んで&食べる様になりました。
一度やめていた散歩も、夜限定で、2〜3日に1回行く様に。
とぼとぼ歩きで、5分で済む距離を15分かけて歩きましたが、「そろそろ帰ろうか?」と促すと、「もうちょっと歩きたい」とでも言うように拒否をし、またとぼとぼと歩く。
いつ最後の散歩になるだろう、と思いながら、いつもの散歩道を歩きました。
7月9日は、妻が外出していて、私も息子と外出していました。
帰宅すると、ムックは横になりながら大きく、苦しそうに呼吸をしていました。
酸素ボンベをあてるも状況は変わらず、何よりも首を抱えて持ち上げた時の脱力具合で、最後の時を悟りました。
薬を飲ませるも飲み込む事もできず。
23:59、日付が変わろうとするその時に、私の腕の長でスーッと手足が伸び、呼吸が止まりました。
胸をさすりながら声をかけましたが、すぐにもう戻ってこないな、と分かりました。
「これまで頑張って来られたんですから、少し休んでください」
ムックを看取った後、動物病院に死後処理の相談をした際に、獣医さんからこう言われ、涙が出ました。
犬の死は初めてではありません。
しかし、私が【親】という立場で育て、看取った最初の子ではありました。
親の責任感から、淡々と死後処理を進めていましたが、妻と2人、やはり泣いてしまいました。
息子は不思議そうに眺めていました。
翌朝、20年近く前に私の祖母の葬儀を行なった所と同じ斎場で、合同火葬をしてもらいました。
形には残さない、と言うのが私と妻の望んだ形でした。
思い出は1000以上の写真、動画に、そして胸中に残っているから、と。
ムックは幸せだったでしょうか?
これはどう逆立ちしても答えの出ない問答ですが、私たちは、病気をかかえ、人に見捨てられた一匹の犬に、住処を与え、食事を与え、家族として共に生きた事を人生の一つの勲章として、胸を張って送り出していきたいと思いました。
いつかまた、息子が大きくなったら、また里子をもらうと思います。それが私の人生における信念の一つだからです。
ですが、ムックと過ごした四年間、死ぬまで忘れないと思います。
いつかまた、振り返る時のために、このブログはなるべく残して起きますが、ムックの物語はここまでとなります。
更新頻度も低く、ブロガーさんとの交流もほとんど無い本ブログを読んで頂いたみなさまに、心からの御礼を申し上げます。
では、いつか、また。