世界遺産
琉球王国のグスク及び関連遺産群
2日目
1月16日の見学地
ひめゆりの塔
新原ビーチでグラスボート乗船
斎場御嶽
中城城跡
北中城(泊)
ひめゆりの塔
現在のひめゆりの塔(手前右): 奥に見えているの
は慰霊碑(納骨堂)、塔と慰霊碑の間に口を空けている
のが第三外科壕(中央奥納骨堂下))
ひめゆりの由来
ひめゆりは植物のひめりゆりとは関係ありません。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校は
それぞれに校友会誌がありました。
高女は「おとひめ」 師範は「白百合」
両校が併置されることによって校友会誌も一つになり
両方の名前の一部「おとひめ」の「ひめ」と、白百合のゆ
りをあわせて「姫百合」となりました。
ひらがなで「ひめゆり」を使うようになったのは
戦後です。
動員された240名が看護要員として配置され
たのは南風腹の沖縄陸軍病院。
40近くの横穴に粗末な二段ベットが備えられ
漬けられただけの施設でした。
戦場でのひめ百合学徒や負傷兵の実態が涙を誘い
ました。
「水、水をください~」の若い兵士は自分の
小便を飲み息絶えたと・・・
解散命令と死
米軍が間近に迫った1945年6月18日夜
「解散命令」が出され生徒たちは米軍の包囲する
戦場に放り出され数日間で100余名のひめゆり
学徒が亡くなりました。
新原ビーチ
海を見ながらの昼食
青い魚の甘酢
観光客に人気者の沖縄の猫(^^;
斎場御嶽(さいじょううたき)
斎場とは南西諸島に広く分布している
「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球開びゃく
伝説にもあらわれる、琉球王国最高の
聖地です。
中城城址跡
古琉球時代を今に伝える中城城址跡
中城城跡はかって貿易がさかんに行われた
屋宣(やぎ)の港から2Kほど離れた標高
160mの丘陵上にあり300余もあると
されるグスクの中で最も遺構がよく残って
いる事で知られています。
石垣の上に立つと西に東シナ海、東に太平洋を
望み勝連半島、知念半島、さらに周囲の洋上の島々
まで見渡せる眺望の素晴らしい所です。
今日感じた事は何と言ってもひめゆりの塔
私が3歳の時の悲劇を目の当りにし
若くして散った少女や兵士達が
本当に可哀相で涙し今の平和の
あり難さを痛感しました。
乗船して見た珊瑚や魚地球温暖化の
影響か死滅した珊瑚が見られました。
中城城址は三種類の石積みが見事でした。
15世紀、護佐丸築城
今日はEMウェルネスリゾート
コスタビスタ沖縄ホテル&スパ宿泊
明日は 勝連城址跡
海の駅あやはし館
宮城島
座喜味城址跡
琉球村
見学予定です。
最後までご覧戴き
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ぺこりんさん作