日本人の悩みというものは、人類普遍的なものもあろうが、日本の歴史的に形成された特有のものが悩みの中に紛れ込んでいることに注意する必要がある。
我々の行動や意識を形成するのは日本の社会であり、家庭である。自分が自由に自分の意思や感性を作って、成長してきたわけではない。
日本の家庭を見てみると。やはりさまざまな問題がある。先の大戦後、民主憲法が成立して、急に家庭の在り方も大きく変わったはずであるが、長年の習慣は変わっていない。法整備も戦前の憲法違反の規定を様々な法律の中に残し、官僚も、政治家もこれを放置する事がしばしばで、憲法違反の訴訟が戦後長く行われていた。あまつさえ、民主憲法が成立してかなり年月がたつ今でも儒教的な男尊女卑、男女同権を否定する言動がみられる国会議員もいる。
戦前の婚姻は、「家」と「家」の戦略的関係において成立するもので、本人同士の意志や家庭の愛など問題ではなかった。家庭内での家長の高い権威が法的にも保証されていたのである。これが長く続き伝統となった。憲法が変わったといってもすぐに人々に理解されはしない。
こういった家庭の伝統が我々の心の中に潜んでいる。さらにこれが資本主義経済の進展によって、経済的な利害が婚姻の中に持ち込まれる。
このような日本の家庭に公正な民主主義と人権を尊重する子供が育つのは難しい。学校教育がこれを強調しようとも家庭では相変わらず、理性と人権を尊重する人間性に基づく愛は行われ難い。さらによく見れば、学校教育も単なる行政の下請け機関と化している事例もあるので、現場がよほど注意しなければ論語読みの論語知らずの教育が行われる。教育委員会制度の形がい化がその一旦を示している。
こういった社会状況で、虐待によって子供の命を脅かすほどでないにしても、愛のない家庭が、利害関係や猫かわいがりの誤った愛の家庭が形成され、子供が育てられる。利害関係と根拠のない暴力的な支配がメインとなるので、子供たちもこれを無意識に学び習慣化する。ただ学校教育は理想的な事を教える。本音と建前の乖離がひどくなる。
子供たちは多感な思春期になればここで大いに迷い、また自己の悩みが深くなり易い。人生で悩むことはどの国、社会にもあることで、思春期にそれが深くなることも共通しているが、前述した日本的背景がある。この歴史的経緯を知ることがこれらの悩みに対処するときに常に意識する必要がある。
今回の衆議院選挙で自公は衆議院議員の3分の2以上の議席を獲得した。これはどんな法律案(いうまでもなく予算案も)成立させることができる数である。
自民党が政権を長く維持するために次の参議院選挙に向けて準備しているであろうが、長期政権を維持するためには参議院選挙で、過半数ないしは3分の2を獲得する目標を立てるであろう。
そのためには選挙法を自党に有利なように改悪する事が一番の早道。衆院で自公で3分の2以上を持つから憲法以外はどんな法律でも作れる。
同時にメデイアへの統制強化である。法律ないしは行政指導、業界からの圧力でこれも可能である。これはすでに民主党政権成立前から成立していることではあるがさらに強化する事になる。
参議院の議員定数の不均衡は明らかに自民党に有利にできている。国会議員の定数格差は信じがたいほどである。
したがって、来年夏の参議院選挙で自公で参議院の議席を3分の2以上、悪くても過半数を獲得するのは目に見えている。公明党の組織と地方に張り巡らされている利権の網の組織で自民党も固定した得票数が確保できる。
自民党はこうして、衆参両院の3分の2以上の議席を支配することで憲法改正をして、貧しい人、権力も地位も有力な人脈もない人々ではない有力者優先支配の社会を作るだろう。自民党と官僚による永久政権がこうして出来上がる。この支配層には財界と外国資本、外国政府が加わる。特にアメリカのコントロール下になり、名実ともに従属国になろう。

自民党の政治家もこれと癒着する官僚も、財界人も自由な選挙で国民が選択しているのだとうそぶいて内外にアピールするだろう。政治社会に対する意識は、自己保身と支配快感を求めて、心理学的に言えば防衛機制が働いて、理性と良き人間性は働かなくなり、自分の内面においてもこれこそが日本の政治、民主政治だと思い込むようになるだろう。
こうして世界があきれる、その緻密な専制体制が分かりにくい「天国のような日本」が出来上がる。
何万人の餓死者や野垂れ死に者が出ても、「我が国はこの世の天国です」と外国メデイアのインタビューに答える国民が住む国家社会がのこる。日本は滅亡はしない。ただダメな国になるだけである。

以上のネックがあるとすれば、最高裁の選挙無効違憲判決と公明党をいかにコントロールするかであろう。これらも、前者が出たとしてもこれに対応する法制度がないとして無視することもできるし、最高裁はこれを出すと混乱するので(衆議院選挙全体に選挙無効判決は出たことがないし、対応する合理的な法律もない)やはりこれが出る可能性は少ない。
公明党については大臣職や形ばかりの公明党政策の受け入れで可能性は大きい。

繰り返すと、参議院選挙まで、メデイアの統制と選挙法の実質的自民党有利へ変えること、そしてもちろん利権の網に沿っての国費のばらまき、一時的な人気取りの政策つまり「おー自民党は変わったなー庶民のことを考えているなー」と感じさせる政策やポーズ、等が行われるだろう。

そして参議院選挙後は上記のような国を目指して突き進むだろう。これを推進している人は全く別のイメージを思い描いているかもしれないが、後から「なんでこんな国家になったんだろう」と自身が驚くこともある国に向かうのだ。
欲望と保身のため、政治家や官僚に有益な責任追及のない現在の社会状況、社会制度では多少の時間的なずれや紆余曲折はあるだろうが以上のようなプロセスをたどル可能性は大きい。

メデイアの洗脳から脱して、良き人間性を尊重し、民主主義の国を構築するために、国民の大半、庶民、人民はどうすべきか、は理性を働かせ、よき人間性尊重の視点から、歴史を見れば明らかであろう。

歴史嫌いは日本の支配階級の緻密な導き、長い伝統的な手段、また近代では国家統制下にある学校教育によって培われていたといえよう。
(一般庶民で、先の大戦で特攻隊攻撃を否定した海軍の一飛行隊長のことをメデイアほとんど触れない、肯定的に取り上げないことを不審に思わない人はメデイアに洗脳されている。と考えていいだろう。目覚めよう。自分が洗脳されていたと認めるには、心理的に難しいだろうが。先の大戦で戦争が終わったあと、「多くの識者や国民は国に騙されていた」といったと伝えられる。今も同じことが起こっていることは原発事故に対するメデイアや政府、政治家、財界の対処、過去の言動等を見れば否定しがたいことであろう。)
選挙制度の不公平はすでに述べてきたが、具体的に、全国の小選挙区と比例代表の各地区ごとの議員定数と有権者の数を一覧した表をマスメデイは報道したのだろうか?
やっていないように思う。各地区の候補者の名前は出ているぐらいのものしか見かけない。
定数と有権者の数が一目で比較できる表を新聞各紙は載せるべきである。やっていない新聞は明日の朝刊に必ず載せるべきである。
きわめて単純な民主主義の規定なのだから。全部出すことで、そしてこの基本的なところで不平等が合法化されていることが圧倒的な量で目にすることで、なすべき行動は心に浮かぶはずである。

投票が終わってから、当選者の得票数の都会部と田舎の違いはっきりするが、当確を開票数パーセントで発表してこの格差に関心が向かないようにしているのだろう。