このブログは、5時に帰るためには学級づくりが第一と考え、日々、研究している成果を発信させて頂いています。

 

 

昨日は、

 

教えるべきは教えよう

 

というお話をしました。

 

今日は、「主体的な学び」は子どもの自立を妨げる

 

というお話をします。

 

 

誰が見ても、子どもが主体的かどうか、判断できかねます。

 

なぜなら、主体的かどうかの判断が、人によって違うからです。

 

つまり、「主体的な学び」とは、どこまでいっても

 

答えのない問いなのです。

 

また、主体的な学びがよい、と言っている人の自己満足に過ぎません。

 

誰かが、主体的だと言えばその通りだし、

 

そうでないと言えばその通りです。

 

問いのない答えを追求するのは不毛です。

 

いつまでたっても、結果が出ません。

 

これも教師が5時に帰られない原因なのかもしれませんね。

 

「主体的な学び」を続けると、学力がつかないまま、子どもを級させてしまう恐れがあります。

 

これは、十数年前のゆとり教育と同じ状態です。

 

ふりこは、いずれ学力の方へふれていくことでしょう。

 

 

100歩譲って、答えのない状況を探っていくはよいとします。

 

しかし、受験はどうでしょうか?

 

避けて通れない問題です。

 

私の子どもも、主体的な学びのもと、

 

漢字ドリルが廃止になりました。

 

子ども達が主体的に話し合った結果、自主学習になったそうです。

 

結果、我が子は、漢字をおぼえられていません。

 

これでよいのでしょう?

 

受験制度が残っている限り、ペーパーテスト点をとることに価値があるのではないでしょうか?

 

ペーパーテストで点が採れなければ、現実問題、行ける高校がありません。

 

そうなると、就職も、むずかしくなります。

 

結果的に自立できない人間を増やしていくことにならないでしょうか?

 

みなさんはどう思われますか?

 

 

それでは

 

see you