「読書」って必要?
「読書」って必要? これは私が小学生のころに感じていた疑問です。 当時の担任の先生は読書の時間を大切にする人で、一か月間に読んだ本を書き記す『読書カード』という記録表を私たちのために作ってくださいました その記録表を一か月間に最も多く埋めた人には景品や何かしらの特典を授けるということで、負けず嫌いの私は訳も分からず全力で本を読んでいたのですが、ふとどうして先生が本を読ませたがるのか気になった私は、「読書ってなんの役に立つんですか?」と...今思えば挑発的な物言いだなあ笑 そんな私に先生は、「本にはね、先人の知恵そのものだよ」と言いました。 先生はその後も熱弁してくださいましたが、当時勉強が苦手で物分かりが悪かった私にとっては、(・・?という感じでした。でも今ならわかる気がします。 本というのは、評論然り小説や史実ものであっても何度も校正が繰り返され研ぎ澄まされ、筆者の考えやメッセージが何千文字何万文字の中に凝縮されているのです。 そしてそんな本には筆者の様々な知恵や経験が隠れていて、声ではなく文字という媒体で私たちに問いかけている。今を生きる人たち同士のface-to-faceのコミュニケーションや瞬時に電波や画面で繋がれる手ごろなSNSではなく、過去を生きていた人と今を生きている人との間接的な時空的に遠距離の、でも心と心が通じ合うような、そんな不思議なコミュニケーションができるもの、それが本であり、故きを温ねて新しきを知るというのが読書の目的であり必要性なのだろうと思います。(もちろん現役で活躍されている方もいらっしゃるので一概には言えませんが...) 真面目な感じになってしまいましたが、本は歴史と伴に歩み様々な所を旅して、結果自分のもとに辿り着いた、あるいは巡り合ったと思うと感動するものがあるよねと無理やりまとめておきます...( ´∀` )